最近不思議と幼い頃のことを思い出す。
死期が近づいているのかと恐ろしくなるほど不思議と思い出してしまう。
年老いた母と話していると昔のことで知らなかったことを
あらためて知ったりする。
ただ、もしかすると昔聞いた話が母の記憶違いで
間違って教えられているのかもという気もする。
母の記憶が不確かなものに変わっているのかも知れぬ。
人間の記憶なんてあいまいなものだ。
自分の記憶が正しいと思っていても同窓会などで懐かしい話を
すると友人たちの話とかみ合わないことも発見したりする。
そこで、俺は俺なりに昔の記憶を書き留めておく場がほしい。
どうせ誰も読んではいないブログだし、もしかしたら同郷の同世代の
人が訪問してくれて懐かしいと思ってもらえればそれもいいだろう。
ひとり遊びと井戸の思い出
田舎の長崎は家々が山にへばりつくように立ち並んでいる。
山には斜めに家を建てられないので地面を切り取り水平にし、石垣を積んで
平らな場所を確保して小さな家を建てる。
だから庭に一歩出ればとなりのうちの屋根が目の前にあり
正面に目をやると向かい側の山にへばりつくように建てられた家々が見える。
実家からは正面に愛宕山が見え、生まれてから18年間その山を見て育った。
愛宕山なんて全国どこにでもあるが、長崎の愛宕山は確か標高300m足らずの
低い山頂に同じく愛宕神社が祭られていた。
幼稚園に入る頃にはまっていたのは
家の8畳間を行ったり来たりして窓から愛宕山を眺めるひとり遊びだ。
遊びというのは部屋を廊下(山)のほうに近づいていくと山が小さくなり、遠ざかると大きくなる。
普通、物体に近づくと大きく見え、遠ざかると小さく見える。
物の道理である。
が、窓枠と言うものが存在すると逆の現象が起こるのだ。
山に近づく・・・と言ってもせいぜい10歩窓枠に近づくと山全体が見える。
ところが遠ざかると・・・窓から離れると窓枠いっぱいに山が広がり、山の一部しか見えなくなる。
文章にすると難しいが、実際そうなる。
子供心にコレが不思議で、まだ物理とか科学とかそんな言葉さえ知らない
年であるから説明が付けられない。
大人になれば視覚の仰角の問題であるのだが・・・
コレが不思議でひとりで部屋を行ったり来たりした。
当時兄弟はすでに学校に通っていて幼い自分だけ午前中は一人で遊んだ。
普段は洗濯をしたり庭掃除をしたりする母のそばから離れなかった。
母の目の届く、母に手の届く近さからはならずにひとり遊びをしていたが
家の中では母も目を話して安心なのか、また子供も母の空気さえ感じて
居れば寂しくも恐くもなかったので離れて遊ぶ事が出来た。
そのとき「ねえ、ママ!ねえ。ねえ」とこの不思議な現象をどう説明してよいか
解らず、そしてどう質問してよいかも解らず、結果ひとりで部屋を後ズサリしたり
窓に近づいたりして半日過ごしていたのである。
それからもうひとつ。
うちには井戸があった。
その井戸は、半分家の中で、もう半分は外から水汲みが出来るよう
ちょうど井戸の半分のところに壁を作ってどちらからも水汲み
出来る便利なつくりになっていた。
当時の長崎は水に不便なところで、夏なると必ず水道が渇水断水した。
近所の人は町の井戸に水汲みにバケツを持って並んだが
我が家はこの井戸のおかげで外で並ばなくて済んだ。
昔は飲み水にも使用してたみたいだが、私が物心付く頃には
飲み水は水道で、洗濯や掃除に井戸水を使用していたと思う。
夏にはスイカを冷やし、親父は趣味の魚釣りで釣った魚をこの井戸の水でさばいていた。
大して深くない井戸でせいぜい4・5mほどの深さだが子供にとってこの
闇の底に水をたたえた世界が不思議でならなかった。
家の中からのぞくと当時の台所は採光が悪く真っ暗な穴にしか見えなかったが
昼間外からのぞくと暗闇の底に自分の顔が揺れて見え、そして底の
方を泳ぐ黒い鯉かフナが見えた。
「あ!」と叫ぶと「あ・・あ・・あ・・あ・・・」と響く。
水のおりを食うというので魚を入れてる訳だが、親から井戸には
神様が居ると教えられていたので(水神様信仰か?)私はこの黒い底に
うごめく魚が神様なのだと信じていた。
当時は子供が悪いことをすると「ばちが当たるよ!」と怒られたもので
何がどうしていけないかではなく、悪いことはばちが当たるからいけないことなのだ
という教えらかたをしたので、まさしく神様がいる井戸に小石を落として
遊ぶことはいけないことなのだと最初に覚えた気がする。
実家には神棚はなく、仏壇が神様であり井戸の魚が神様だった。
いつも神様がどっかで見ていて悪いことをするとばちをお与えになる。
悪いことは親が逐一注意することで覚えた。
自分の子供には非科学的なことではなく、人に迷惑をかけること
公共のマナーに反することがいけないこと。そして親の注意することは
どこがいけないのか、何がいけないのか理詰めで教えてきた。
もしかしたら昔のばちが当たるという教えも
それなりに正しかったのかなと思う今日この頃なのである。
最近の東京の母親は見知らぬ俺を指さして「ほら、おじさんに怒られるよ」などと
子供を注意をする人が居て不愉快な思いをするが、もしかしたら
俺は神様でばちを与える立場なのかなとおもうようになった。