2011年3月11日東日本大震災が起こり、
そこから5年間母は、
ボランティアを続けていました。



スタッフは父、私、弟、姉。の徳永家(笑)

その時どきで駆けつけられるひとが
かけつけるスタイルでした。

炊き出し、被災地での情報サロンの運営、
仮設住宅の収納改善プロジェクト、
山形に移住してきた福島のお母さん達のための
お料理サロン、月1の家族保養キャンプ。




ボランティアを続ける母への周囲の反応は
優しいものだけではありませんでした。


よくやるね〜。
まだ続けてるの?
すごいわね〜。
お金どうしてるの?
偉いよね〜。



母は、ボランティアは究極の自己満足だと
いつも言っていました。


実際行動している人には、
そこに純粋なその人の意志があって、

母は母がすると決めたことを、
出来る範囲でやっているだけでも、
そこに、偉い人、すごい人、特別な人と
いろんなものをくっつけて、
自分とは別の生き物のように
扱う人達、声をたくさん見てきました。

それが出来るのは、美嘉さんだからと。




母だって普通の人間なのに。

一番支えたいひとに届けられないことに
泣いたり、自分のやってることに
自信をなくして泣いたり、想いが強すぎて
伝わらないことに泣いたり。
自分のやってることは結局は偽善だと泣いたり。
頑張り過ぎて、1週間動けなくなったり。


でもやっぱり母の想いのパワーは凄かったし、母のツールは料理だったから、
自分の料理というツールと、
母自身の魅力で人を笑顔にさせる母を
人として大好きだし、尊敬してたし、
やっぱ敵わねーって思ってました。


そんな母にボランティアを始めた当初から
お米を送り続けてくれた母の友人がいます。




その方は、高知の農家さんで、
わたしは美嘉さんの活動を手伝うことは
出来ないし、被災地に行く事も出来ないから


ボランティアをしている美嘉さん、
徳永家をサポートしたい。と
お米や、野菜を送り続けてくれたんです。


それが、どれだけ母の励みになったかわかりません。



ひとには、役割があると思うんです。


母が、母の活動を続けてこれたのは
そんなサポートが、たくさんあったからです。

これはわたしが体験した一例ですが、
全てに当てはまるなぁと私は思います(^^)

やっていることに、
大きい、小さい、
凄い、凄くないは
ないと思うんです。


ひとりひとり役割があって、
それが完璧に作用して、この宇宙は
世界は成り立っているんだと。


ただ、目に見える形でわかりやすく何かを
している人は、その分目に見えない苦悩を
抱えながら、勝手なことも言われながら、
思われながら、それでも自分に出来ることを
やり続けていることを、
弱音を吐かずに頑張り過ぎてしまうことも、

わたしは、母から学びました。



どんな役割を持つひとも等しく
かけがえのない存在だと思います。

そこに、上も下もなく。
そこに、優劣もなく。


だって母が、母のやるべきことが出来たのは
サポートしてくれる友人や家族がいたからだから。


その時の自分で、自分のいる場所で
自分に出来る役割を、自分の意思でやっていく。
事の大小関係なく。



自分の役割以外は、ひとに任せたらいい。
自分の役割以外は、ひとに甘えたらいい。
自分の役割以外は、ひとに頼っていい。


自分の役割を生きればいい。
自分の道で。自分のままで。


あなたの役割はなんですか?
あなたの土俵はどこですか?



ちゃんと自分の土俵で生きていこうと思います!


あっちの方がわかりやすくて、
かっこいいからそうなりたかったけど、、
って羨ましがってもいいけど(笑)
わたしの道はここ!って、気づく!



理想はあっても人の道。

自分が歩くのは自分の道じゃ!!




徳永菜