突然の手紙をお許しください。私は吉山治夫と申します。
いまから一年前の六月二十三日に、そちらのお店で食事を楽しませてもらったものです。
私は今、この手紙を病室で書いています。
実は、末期の癌を患っておりまして、残念ながらここで人生を終えてしまうようです。
ただ一つ、心残りは愛する妻を残して逝かねばならないことです。
優しい女です。一途な女です。手前味噌ではありますが、私以外の男を好きになれないと思うのです。
私が亡くなってから後、おそらく妻は貴方の店を訪ねると思います。
それも、六月二十三日に。
面白いことに、私たちが初めてデートした日(貴方の店に行った日です)も、結婚記念日も、
新居に引っ越した日も、全部六月二十三日なのです。
もしも妻が貴方の店を訪ねたら、あの日と同じ料理を出してやってくれないでしょうか。
そして、こう言ってやってください。
絶対に後は追うな。笑っていてくれ。僕は君の笑顔が大好きだったから。
「でも、来るかどうか分からない私なんかの為に」
「この熊はね、信用してくれた人を裏切れない難儀なヤツなんです。毎日のメニューはノートに記録してますからね、一生懸命探しまくってようやく」
鈴を転がすような笑い声を立てる女性と、照れくさそうに上を向いている熊を見ているうち、
枯れたと思っていた涙が、後から後から溢れて落ちてきた。
「涙ってね、枯れないんですよ。悲しみがあんまり大きいとね、詰まっちゃうんです」
もう一枚おしぼりを置きながら女性が笑った。
「あんたは涙腺が太すぎるのよ、いつでも何でも泣いちゃうんだから。
ほら、熊。さっさと鱧やっちゃいなさい」
「お、おう」
鱧の骨を切る包丁の音がリズミカルに店内に響く。
生きよう。それも出来るだけ朗らかに。
まずはここからだ。
紀代美は満面に笑みを浮かべ、デザートを注文した。