幸田功。それが彼の名前であった。
肩書きである浴場背景画家は、日本ではもう五人しか
残っていない。
そのうちの一人、幸田は半年前に亡くなるまで、頑なに富士の絵を描き続けた。

ここ最近のスーパー銭湯の台頭により、次々に市井の銭湯が無くなっていく。
数少ない情報を頼りに、彼の描いた富士を追い求めることが、
今の私の何よりの楽しみであった。
初めて幸田の絵に出会った時から一年余り。
その間に見た絵は二十を越える。
その中でも、おそらくこれは彼の最高傑作と思われた。

体を洗い、浴槽に向かう。
浴槽の位置も湯の質も良い。
ゆったりと広がる富士の裾野で、露天風呂に浸かっているようだ。
湯けむりの中に浮かぶ霊峰富士、これこそが日本の風呂だ。

禿た爺さんの浪花節も華を添えている。
近所の人々で賑わう洗い場は、子供達が喧しい。
先ほどの浪花節爺さんが、浴槽に飛び込んだ子供を叱りつけた。

私は益々、嬉しくなった。
少年達はここで社会のルールや、大人の怖さというものを学ぶのだ。
銭湯が少なくなるにつれ、社会も変わっていったように思えてならない。
そんな感傷に耽るうち、私は妙な事に気づいた。


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