それほど待つことも無く、次のエレベーターはやってきた。

10階から先は階段だ。
一段一段踏みしめながら上がる。

目の前に鉄の扉がある。もしも鍵がかかっていたら、諦めて帰ろう。
そう決めてノブを回した。

「開いたの」

そっと押したら、きしむ事もなくドアは開いたそうだ。

青空が見える。
爽やかな風が髪を撫でていく。

彼女は、こんな気持ちの良い日に死ぬのだと思うと嬉しくなったらしい。
「下に人が通らないように中庭に飛び降りようと思った」

確か現在地の丁度反対側だ。
空調のパイプを跨ぎ、ようやく反対側に回り込むと、人が居た。

そのスーツに見覚えがある。
先ほど、彼女を追い越して行った男性であった。

小さく舌打ちし、物陰に隠れてやり過ごそうとした途端、その人はいきなりフェンスをよじ登ると身を投げた。


まるで高飛び込みの選手のように、綺麗なフォームで両手を揃え、その人は宙に舞った。

「飛ぶんじゃないかって思うぐらい」

しかしながら、当然の事ではあるが、一瞬にして墜落。

彼女は震える足を抑え、フェンスに近づくと精一杯身を乗り出し、下を見た。

男性の体は、卍の形になっていた。


自分もああなるのかと思ったら、とてつもなく怖くなった。
急激に死が身近に迫ってきた。

それ以上、そこに居られなくなり、ビルを後にしたそうだ。

男性が飛び降りた辺りには、人だかりがしていたが、無論彼女は近寄る気にもなれず家に戻った。
それ以来、死ぬことなど考えず、毎日を必死に生きようと決意した。
おかしなもので、一つ問題を解決すると、まるで糸が解けるように次々と苦労が報われていった。

「あの時、靴紐が解けなかったら、あたしが死んでいたと思う」

そう言ってE美は微笑んだ。


ちなみに、そのスニーカーは、亡くなった母親から誕生日にプレゼントされたものだという。