クロワッサンを二つ食べ終わった時、現地スタッフが現われた。
シンガポールで現地採用したらしく、地元丸出しの風貌である。
白いプラカードに『やまおかさん』と辛うじて読める文字。
困り果てた、と顔に書いてある。
やれやれ、といった態で、山岡は近付いて行った。

「山岡です」
ニッコリと白い歯を見せ、男は右手を差し出した。

「マークでぇす。マーク・タムワン。ようこそ来たな」

まぁいいか。
辞令を受け取った時に呟いた文句が、すっかり口癖になってしまっている。
山岡は、もう一度、まぁいいかと呟くとマークの後に続いた。

ロサック島までは当然、船しかない。
太平洋への出入口となるシンガポール海峡は、この辺りの海域では最も狭い。
対岸にインドネシアの島々を望む中、うねうねとボートを操りながらマークは絶えず喋り続けた。

「ここね、広いように見えても深いとこ少ない少ない。でも大丈夫。
私の庭よ、庭。魚たち、全部友達ね」

「そりゃいい。後で紹介してくれ。なぁ、ロサックはまだかい?」

「もうすぐそこよ。外国の人、初めて。みな、喜んでる」

山岡にとって、初の海外赴任である。
現地人が友好的という情報は何よりも有り難い。
ようやく彼に笑顔が戻った。

「マーク、家のことだがね」

「心配なぁい。村全員で山岡さんの家作ったよ」
「え。家を」

「ま、見てのお楽しみね。憎いよ、しゃちょー、さ。着いたよ」

「まだ係長だよ。第一、たった一人きりの企画室だ」
軽口を言い合いながら、山岡はボートを降りた。
港と呼ぶのも躊躇われるほどの小さな入り江には、
男が一人待っていた。