言語聴覚士という職業がある。略してSTと呼ばれることもある。
1997年に制定された言語聴覚士法より、ようやく誕生した
国家資格を持つ者を指す。
言語、聴覚、嚥下のリハビリテーションを行うスペシャリストのことだ。
脳腫瘍手術後に文字が読めなくなった患者や、
何らかの理由で声帯を切除し、発声に訓練が必要な患者などの
リハビリを主に行う。

小川理沙は今年、言語聴覚士に合格したばかりの新米だ。
毎日が試行錯誤の繰り返しである。
これはそんな彼女の話。


さて、行くとしますか。
理沙は己の頬を軽く一つ叩き、気合いを入れた。

「ま、ああいう人も居るっていう勉強のつもりで」
先輩のSTは意味ありげな顔つきと台詞で理沙を送り出した。
その患者は徹底的に拒否するのだという。
とにかくどのような訓練も頭から拒否の連続なのだ。
柳田というその患者は、脳梗塞の後遺症で失語症に陥る前は
高校の国語教師であった。
柳田は言語聴覚士のみならず、理学療法士や作業療法士すら拒む。
顔面を紅潮させ、激しく手足を振り回し、近付くことすら許さない。
家族は既に諦めている。
新米言語聴覚士の理沙にとって、ハードルの高い相手である。
先輩STの態度も当然と言えた。

だが、理沙には先輩STに比べて一つだけ勝る資質があった。
それは『逃げない気持ち』である。
学生の頃から、やらずに後悔することだけは避けてきたのだ。