美奈子の方は時々、伊藤のことを思い出した。
熊を操りながら患者を診るときの真剣な笑顔。
子どもが微笑んだ時に見せる心からの喜び。
それら全てが何故かいつも思い出されてならない。

それが恋なのかもしれないと気づいたのは、10月の或る朝だった。

いつものように店を開けた美奈子の足元に大きな影が差した。
ふと顔を上げると、そこには満面の笑みを浮かべて伊藤が立っていた。
「こんにちは」

「あ。い、いらっしゃいませ」

「また、買いに来ました」

「え?」

「パペット。熊のパペットです。使い方が荒っぽいのかなぁ、
半年ぐらいで破けちゃうんですよ」

「そうかもしれませんね。固い物持ったり、はめたまま
ボールペンで字を書いたり」

「酷い時はそのまま珈琲飲んじゃうから」

熊をはめたまま珈琲を飲む伊藤の姿を思い浮かべ、美奈子は
吹き出した。

「それに伊藤さん、手が大きいから」

『伊藤さん』
その名前を口に乗せた瞬間、美奈子は自分が彼に恋していることに気づいた。

「この前のと同じのありますか?」
思わず「うん」と答えてしまいそうになり、美奈子は俯いたまま、
慌ててパペットのコーナーに向かった。