表札も、金木犀も、古びた門扉もそのままだ。
恭一郎は深呼吸を繰り返し、ドアを開いた。

「ただいま」

もう何年も使ったことが無い言葉。
言う相手がいなかった言葉だ。
噛みしめるように、もう一度言った。
「ただいま」

言い終える前に、姉と母が出てきた。

外見は変わっていないが、二人とも目を真っ赤に泣きはらしていた。

「恭ちゃん、おかえり。けど、遅いよ」

「忙しいのにごめんね、恭一郎。こっち来てあげて」

急速に湧き上がる嫌な予感を振り払いながら、恭一郎は奥の間に走った。
ふさ丸がいた。
柔らかい毛布にくるまれて、右を下にして横になっている。

恐る恐る触った。
まだ、ほんのり暖かいが、既に鼓動は止まっていた。

手足も突っ張り、柔らかだった肉球も心なしか固まりつつある。

鼻も乾き、愛らしい目も閉じられていた。

「ふさ丸、起きろ」

名前の通り、ふさふさした尻尾はピクリとも動かない。

「なんだよ、もう少し待ってろよ」

声が震えた。

「ふさ丸、頑張ったんだよ」
しみじみと姉が言った。