飯を済ませ、旅館自慢の温泉に向かった。
自慢するだけの事はある。
広い岩風呂から海が見えた。

湯船には先客がいた。
私も海を眺めながら、ゆっくりと湯船に浸かった。

少し肌寒い日であったので、湯が肌に食いついてくる。
たちまち体も心もほぐれて行く。

はぁ、極楽極楽
とお定まりの文句が口を吐いて出た。

その言葉に反応したかのように、先客が私に向かって近づいて来た。

妙な事に向こうを向いたまま、近づいてくる。

(なんだ?こいつ…)

このままではぶつかってしまう。

「すいません」
と声をかける。

妙だ。

何か不自然だ。

凝視を続け、ようやく私は気づいた。

波立っていない。
こちらに近づいてくる以上、波が立つ筈だ。

それが、波紋一つ立てずに近づいてくる。

首は水面に触れていなかった。
首だけが、向こう側を向いたまま近づいてくるのだ。

これほど熱い湯船にも関わらず、全身に寒気を感じ、慌てて風呂から飛び出した。

脱衣場に走り込んで振り向くと、目の前に首が浮かんでいた。

グズグズに腐って崩れ落ちた顔面。
睨み付ける目玉が赤く血走っている。
性別すら判らない。

小さな悲鳴をあげ、私は失神した。