同僚はどうだ。
少しだけ付き合った女は、俺自身、名前も思い出せない。
数少ない友達も、施設で世話になった先生たちも、俺に対する記憶が無くなっても特に何も変わらないだろう。

その想像は、果てしない絶望と虚無を徹にもたらした。

何故俺なんだ。
何十億といる人類の中で、何故俺が過去も未来も棄てなくてはならない。
沸き上がる怒りに目の前が赤くなる。

その時、一陣の風が吹き、桜吹雪が徹を包んだ。

一瞬にして怒りの感情がほどけて溶けた。

「この桜もこのまま戻せるんですね」

『ああ、全く変わらずに』


「使ってください。
俺を」

徹は、最後にもう一度だけ、幹を撫でた。

「元気でな。さよなら」
それが、徹が人間として残した最後の言葉であった。



三日後、地球は一旦滅びた。

隕石がもたらした影響が収まった頃、創造主の予定通り、徹のDNAを元にした復活は滞り無く始まった。

地球が元に戻るまで、わずか一週間しか掛からなかった。

今また、地球には動植物がその命を謳歌し始めた。

徹だけがそこに居ない。
皆の記憶からも消されていた。

あの日と同じ、4月の第二週目の日曜日。

創造主が自信を持って元通りにしたと言うだけ有って、
山も川もすっかり元通りである。
木々の緑も変わらない。
だが、あの桜だけは違っていた。

その蕾を固く閉じたまま、自らの意思で枯れていた。

その理由は創造主ですら判らなかったが、
桜だけは、徹を覚えていたのであった。