一人の武士が夜を徹して京に向かっていた。
名を河上彦斎。彦斎と書いて、げんさいと読むこの男、
元は肥後藩士であったが、
文久三年八月十八日の政変以降、長州で三条実美の警護士を努めていた。
その男が京に向かっている理由は只一つ。
池田屋で討たれた宮部鼎蔵の仇討ちである。
夜を徹し、歩きに歩き続けている為、
頑強なその足が流石に悲鳴を上げかけている。

「少し休むか」

誰に言うでもなくつぶやき、路傍の石に腰を下ろそうとした
彦斎が、途中でその動きを変えた。
ゆっくりと左足を後方に引き、なおも腰を落としながら、刀に手を伸ばす。
彼得意の右片手打ちの態勢である。
通常なら、このまま相手の足を切り落す。

「誰か」
闇に向かい、静かに声をかけた。

「私を河上彦斎と知っての事か」
音も無く、鯉口を切った。

「ほっほっほ、いやいや流石やのう。河上彦斎、怖い男じゃな」
緩やかに笑いながら闇から現れたその姿を見て、
彦斎は我が目を疑った。
白装束に烏帽子を被り、横に広い顔が不気味に笑っている。
甲高く鼓を打ちながら、ぬるりと踊り出てきた。

二十へ