だが、赤い靴をはいた女の子は、日本にいた。
ヒュエット夫妻が帰国しようとしたとき、きみちゃんは当時不治の病と
いわれた結核 に冒され、長い船旅に耐えられる状態では無かった。
そしてきみちゃんは、麻布永坂にあった教会の孤児院に預けられてしまう。
3歳で実の母と別れ、6歳で育ての母とも別れ、きみちゃんは一人で
病魔と闘った。
その時、頭に浮かんだのは二人の優しい母の姿であったろう。
口に出して、何度も何度も「おかあさん」と呼んだであろう。
明治44年9月15日の夜、きみちゃんはアメリカではなく、
天国へ旅立って行った。
今、麻布十番にはきみちゃんの像が立っている。
十年前、誰かがこの像の足元に18円を置いた。
それ以来、きみちゃんの足元には小さな善意が置かれ続け、
その額は1000万円を超えた。
赤い靴の女の子は、
その小さな手で、恵まれない子供達を
救っているのである。
菊池 寛著 『赤い靴履いてた女の子』より
ヒュエット夫妻が帰国しようとしたとき、きみちゃんは当時不治の病と
いわれた結核 に冒され、長い船旅に耐えられる状態では無かった。
そしてきみちゃんは、麻布永坂にあった教会の孤児院に預けられてしまう。
3歳で実の母と別れ、6歳で育ての母とも別れ、きみちゃんは一人で
病魔と闘った。
その時、頭に浮かんだのは二人の優しい母の姿であったろう。
口に出して、何度も何度も「おかあさん」と呼んだであろう。
明治44年9月15日の夜、きみちゃんはアメリカではなく、
天国へ旅立って行った。
今、麻布十番にはきみちゃんの像が立っている。
十年前、誰かがこの像の足元に18円を置いた。
それ以来、きみちゃんの足元には小さな善意が置かれ続け、
その額は1000万円を超えた。
赤い靴の女の子は、
その小さな手で、恵まれない子供達を
救っているのである。
菊池 寛著 『赤い靴履いてた女の子』より