「志乃ちゃん、そろそろ灯、入れて」

「はぁい、母さん」
志乃と呼ばれた女は、突き抜けた明るさを含んだ笑顔で答えた。
見る者が見れば、それが悲しみを煮詰めた末に訪れる微笑だと判る。
その笑顔は仮面などではない。
鎧だ。
それは、この街で生きていく為に最も必要なものであった。

志乃は学生服の若者に気づくと、身に染み付いた会釈を見せた。
その会釈が途中で止まる。
それほど記憶力の良くない志乃だが、ずっと昔、
同じように会釈した覚えがあった。

「志乃さんですか」

「あ、は、はい」

「あの、お店に上がってもいいですか」

「え?あ。ど、どうぞ」
動揺を抑えきれずに、声が上ずる。

記憶が蘇った。
自ら封じた記憶であった。

あの時も

声に出さずに唇が動く。
その瞬間、若者が笑った。

「こっちで良いんですか」

「あ、ええ」
あの時もそうだった。