シンガポール・チャンギ国際空港の滑走路は薄く濡れていた。
どんよりと曇った空を見上げる山岡に、高温と湿気が容赦なくまとわりつく。
日本を旅立つ時、置いてきた筈の溜息が出る。
現地スタッフとの待ち合わせまで、あと二十分。
デリフランスで買ったクロワッサンを味わいながら、
山岡はバッグから地図を取り出した。
これから向かう先が赤い丸印で囲んである。
マーライオン公園や、リトル・インディア、チャイナタウン、
セントーサ島などとは縁が無い。
彼が向かう先は、セントーサから遥か南、シンガポール海峡に浮かぶ
無数の島の一つである。
ロサックという名前はあるが、地図には記載されていない。
だがそこに、丸誠商事の現地支社がある。

「場所で判断してはいけないよ、山岡君。これは栄転だ」

二週間前、芦田部長が満面に笑みを浮かべて言った台詞である。
ブルドッグがネクタイを締めたような芦田が笑うなど、滅多に無い出来事だ。
断れば、どうなるかは明らかである。

「いいかね、これはトップ・シークレットだがね」

ロサック島に自生する薬草から、ガン治療に有効な成分が発見されたというのだ。
製品化し、独占販売すれば利益は天井知らずだ。
極秘裏に進めるには、どうしても現地に駐在する者が必要である。
君以外に適役は無い。
準備企画室長として赴任してもらいたい。

「儲かれば私も自宅を改築できる、おっとこれは余計な話だな」
芦田は上機嫌に締め括った。