「自分の家に戻るのは逃げるとは言わない。
何よりまず、お帰りなさいってのが筋道だろ。
あたしゃ、そんな息子に育てた覚えは無いよ」

始まった。
正樹は閉口し、片手で制した。
「分かった。分かったから」

「いいや分かっちゃいないね。いいかい、あたしゃ老人ホームなんかに
行きたくないんだよ。ここでこうやって独りきりで茶を啜ってられれば
それで良いんだ」

「俺は母さんが心配で」

「心配御無用。とにかくあたしゃあんなごちゃごちゃした所で暮らす気は無い」

正樹は小さく溜息をつくと居間に戻った。
優梨子がぼんやりとテーブルを眺めている。
そこには、母の為にと選んだ老人ホームのパンフレットが広げてあった。
行き届いた設備と超一流のスタッフ、医療設備も整っている。
各部屋にはデジタル放送完備、風呂は温泉だ。
ホームには施設が提供する茶道や華道のクラブもある。
見学にいった正樹は、ロビーを飾るシャンデリアに圧倒された。
出来るならば、自分が暮らしたいぐらいであった。
これならきっと母も満足するに違いないと確信したのだ。

今日は、その施設の見学会であった。
それなのに母は理由も無く帰ってきた。
いや、理由はあるのかも知れないが、聞く気にもなれない。
正樹はまた、溜息をついた。
今度のそれは大きく、長く続いた。

「お母様、どうしたら満足していただけるのか、
もう判らないわ」
優梨子が諦め顔で、もう一度繰り返した。