私も、姉も、私の家族も義父母も、母を懸命に守った。
私は毎週のように故郷へ帰り、店や部屋の片付けをし、
自己破産の手続きの為、役所を回った。
母の笑顔の為なら皆が頑張れた。

どうにか先行きに見通しが立ち、母も新しい土地に馴れた。

一つ気になる事があった。
母の咳が続いている。
肺炎かもしれないと、妻が共に病院を訪ねた。
その咳の原因は、肺炎と、もう一つ。

肺ガンである。
既に、末期であった。

私達は迷った末、告知した。
その時の母の気持ちは知る由も無い。

二月。
母の声が出なくなってきた。

放射線治療と抗ガン剤による治療を選択。
すでにメスを入れることは不可能であった。

あくまでも普通に接する。
朝、母の作ってくれた弁当を持って出勤する。
その間は家族が母の面倒を見てくれた。
いきなりの姑との同居生活にも、妻も娘も
義父母も全く普通に接した。
素晴らしい家族だと、しみじみ感謝した。

そして全員が待ちわびた日が来た。
新しい命が誕生した。
男の子であった。
二週間早く産まれてきてくれた。
何事かを感じて早く出てきてくれたのかもしれない。


小さな命を母は、飽きずに抱きしめ、
微笑みを投げかけ、一日を味わうように
過ごした。