馬鹿笑いする謙司に、桂は静かに言った。
「だからだよ。そんなお前だからこそ、出来ると
俺は信じている。頼むぞ、愛田。
そうだ、この犬、ハッピーという名前らしい。
そう呼んでやれ」

「ハッピー?!だせぇ名前。ま、いいや。よろしくなハッピー」

手を出そうとする謙司を川瀬が止めた。
「もっとゆっくり出してやってください。
いきなり手を出されると、殴られると勘違いする」

川瀬の言う通りであった。
ハッピーは、謙司の手を怖がって体を丸めた。
「それと、肩から上に手をあげる事も。殴る動作に
繋がる行為は全て注意してください」

「…判った」

こうして、謙司とハッピーの奇妙な共同生活が始まった。
日課の最初は散歩から始まる。
犬は、歩く動物なのだ。
たとえ、足腰が弱ろうとも、犬は死ぬまで歩くことを望む。
だが、ハッピーは散歩すら恐れた。
謙司がいくら引き綱を引いても、頑として応じようとしない。
ベンチの下に入り込んだまま、動こうとしないのだ。
元々、謙司は気の長いほうではない。
何度か手をあげかけたが、この犬の面倒を見ていれば、
うっとうしい奴等と共に木工所で作業しなくても済む。
あくまでも引き算でしか物事を考えない健司にとって、
ハッピーは残りの刑務所暮らしを乗り切る大切な命綱だ。
振り上げかけた拳を腰に溜めて我慢した。