すっかり腰を抜かしてしまった又佐を十兵衛と太郎丸が抱えて降ろす。

「そうだ、十兵衛様」
別れを告げ、海中に没した海坊主が再び浮いてきた。

「む。どうした?」

「少し気になることがありまして…つい最近の事なんですが。
江戸湾から魚が居なくなりました」

「魚が…」

「はい、皆、江戸湾から逃げたようです。わしも調べに
行ったのですが、やはり生き物の気配がありません」

「気配が無い?」

海坊主は一息置いた。
「…結界が張られてあるようです。冨津岬から観音崎まで。」

ようやく立てるようになった又佐が話に加わる。
「それではほとんど江戸湾を封鎖しているようなもの
ではないか。されど、海底に結界をどうやって張ると…」

「海底に人が居ました。気付かれぬよう、
遠間におりましたので詳しくは判りませんが…ただ」

「ただ?」
いつになく十兵衛の表情は厳しい。

「その御仁、にこやかに微笑んでおりました。
片手に釣り竿を持ち、もう一方で鯛を抱え込んでおります」

「なんと。それは」

「さようでござる。恵比寿様、でございました」

恵比寿。七福神として有名だが、本来は日本神道の神。
伊邪那岐と伊邪那美の最初の子である。
だが、蛭子(不具者)であった為、海に捨てられた。
海辺で暮らす民が、漂流してくるもの全てを恵比寿として
祀るのもこの事を由縁とする。
民にとっては漂流者であろうと、水死体であろうと、
全てが恵比寿様なのだ。
水中に結界を張るに相応しい存在ではあった。



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