この写真はニューヨークタイムスに掲載されるやいなや、世界的規模の論争を招いた。

「少女を救うべきである」

「いや、悲劇を全世界に伝える意義は大きい」

人道主義とプロ意識のいずれを選ぶかは、日本のテレビ局でも特集を組まれた。

僕は、この写真をバイブルにしている。
これこそが、報道カメラマンの在るべき姿だと思っていた。

けれども、利恵は看護師だ。
人の命を救うのが仕事なんだ。
彼女は、何より少女の運命を案じた。
少女がかけている首飾りを見て母親の気持ちを察して泣いた。

僕達は、その日、気まずいまま別れた。


何となく仲直りできないまま、何週間か経った。その間に、地方へ撮影に行ったりしたから尚の事、連絡がつきにくかったんだ。

ようやく一段落ついてアパートに帰る途中、利恵からメールが入った。

『元気?お願いがあるの。逢ってください』

何だろ?いつもの利恵とは違う。

利恵の好物の栗ようかんを提げて、僕は病院に向かった。

久しぶりに見た利恵は、相変わらず元気満々だ。

「もう少しであがるから、下の喫茶店で待っててちょ」

なんて言う。