ジンの車は、謙司の血の臭いを漂わせたまま、山を降りて行く。
その途中、横山のペンションの前を通った。
丁度散歩から帰ってきたハッピーが謙司の血の臭いに気づいた。
引き綱を懸命に噛みちぎり、ジンの車を追って走りだす。
だが、足が弱いハッピーが走り去る車に追いつけるわけもない。
仕方なくハッピーは血の臭いを辿って山に向かった。

忘れるはずも無い、謙司の血の臭いだ。
あの日、刑務所のベンチに座る謙司の手を舐めた時に
覚えた臭いだ。
ハッピーは痛む足を引き摺りながら、山道を少しづつ謙司に
向かって走り出した。


謙司は夢を見ていた。
彼の手にかかって死んだトシが、広い川の向こう岸で
ニコニコと笑って手招いている。

 (早く来いよ、謙司)

今行くよ…トシ…

川を渡り始めた謙司を必死で引き止めるものが居る。
襟首を掴み、引き摺る。

誰だ…やめろよ…俺は向こうに行くんだ…

謙司を引き摺るものは、大きな声で唸り始めた。

……ハッピーッ!

うっすらと目を開けた謙司がそこに見たものは、
謙司のシャツを咥え、崖を登ろうとしているハッピーであった。
少し登っては、また擦り落ちる。
足が弱いハッピーにとって、小さいとはいえ謙司の体を
咥えて登るのは並大抵のことではない。

「ハッピー、やめろ、お前も一緒に落ちてしまう」

謙司が止めるのだが、ハッピーは聞こうとしない。
休みながらも少しづつ上を目指している。
途中、広い窪みがあった。
ようやくそこでハッピーは謙司の襟首を離した。