近くの煙草屋で訊いてみた。

「富士の湯さん?あぁ、おばあちゃんが亡くなってねぇ、
残った御主人は一人じゃ無理だから、ってんで
閉めちゃったのよ。だいぶと経営も苦しかったみたいでね」

「あ、あのばあさんが…建物もあっさり潰しちゃったんですか?!」

「ええ。速かったわよ、三日間ぐらいで綺麗になったわね。
外側を先に壊したからさ、しばらくこの窓から富士山が
見えててね。素敵だったわ」

その富士山も今は失われてしまった。
あの親子の絵と共に。
私は見知らぬ人の前で、涙をこぼさぬようにいるのが
やっとだった。

「そう言えば、おかしなことがあったわ。
あのね、若い男の人が富士山の絵を削って行ったのよ。
七合目辺りをほんのひとかけらだけ。
あたし、怖かったけど近づいて見てみたの。
そしたらね、泣いてんのよ、その子。
こう言ってたわねぇ…『とうさん、結局登れなかったね』
ですって。何のことかしらね…」


私は富士の湯の跡地に入ってみた。
浴槽があった辺りで座りこむ。

ここに富士があったのだ。
七合目で手をふる少年がいたのだ。
遅すぎるかもしれないが、私も手を振り返した。

今はもう浴槽は無い。
だから、私の涙は溢れるままであった。