この時期、江戸の剣術道場を震撼せしめた人物が居る。
その名を大石進。七尺を超える体格で、恐ろしく長い竹刀を用い、
ほとんど全ての道場を打ち破ってきた。
その凄まじいばかりの突きは、毎日、岩を突くことで養われたという。
江戸の道場主で僅かに引き分けたのは千葉周作のみ。
その大石が、久しぶりの帰省の為に東海道を下っていた。
江戸市中の主だった道場を片っ端から破った上での帰郷であり、
言わば凱旋帰国である。
自ずと足取りも軽くなる。

それにしても、と大石は誰に言うでもなく呟いた。
「さすがに千葉周作は違うな」

彼の自慢の武器である六尺の長竹刀が通用しなかったのだ。
千葉は、驚いたことに巨大な鍔を竹刀に嵌めて試合に臨んできた。
六尺、今でいう170cmの竹刀などという規格外の武器には、
それ相応に備えるという柔らかい発想に負けたとも言える。

大石の足が止まった。
止めようとして止まったのではない。
剣士としての勘が止めさせた。
それほどまでに凄まじい殺気が、街道沿いの茶店から
投げかけられて来た。

昼日中のことである。
周りにも旅人が行き来している。
大石は敢えて、街道を離れ、河原に向かった。
思惑通り、殺気が後からついてくる。

三十ニへ