樹林は懸命に走る。
それほど運動能力に優れている男ではない。
その男が、息を切らせ、全速力で走っている。

「まりちゃん!まりちゃんっ!」
肉体は同じでも、違うまりちゃんだとは判っている。
判ってはいても、樹林は信じた。
恥かしいが、きっちりと書かせてもらおう。
『愛の力』を信じて走ったのだ。

テケテケは時速150kmの化け物だ。
その気になれば、いくらでも追いつくのに、敢てそうしない。
ニタニタと底意地の悪い笑みを浮かべ、樹林を見守っている。

ケースを叩く樹林にようやく気づいたのか、まりちゃんが
うっすらと目を開けた。
違和感が樹林を襲った。

「ま…りちゃん」
違う。決定的に違うのだ。
まりちゃんの、あの愛くるしい微笑みが無い。
氷のように冷たい視線で樹林を睨みつけている。
美しいだけに、余計怖い。

悠々と這いずってきたテケテケが大声で笑った。
「言っただろう、その女、魂が無いんだよ。
最後の情けだ、愛した女に殺されな」
ガラスケースが静かに開いていく。
いつの間にか、まりちゃんの手には鋭い鎌が握られている。

三十へ