時計を見ると、既に朝7時である。
美紀も一睡もせず、おとなしく隣の部屋に控えていた。

「美紀ちゃんっ!」

「は、はいぃっ!」

「駄目だわ、あと一歩が届かない。あれ買ってきて」

「判りましたっ!」
美紀はヘルメットを引っ掴むと、店を飛び出した。
彼女が向かう先は、上板橋南口の石田屋である。
仕事に息詰まった時の静香が、必ず欲しがる物がその店にはある。
栗どら焼きだ。
大きな栗が丸々一個入ってるそれは、一日300個限定なのである。
一人10個まで買うことができるが、開店してから30分後には売切れてしまう。
間に合うかどうか判らない。
だが、美紀は美紀で、彼女の持てる力を精一杯使おうと決めていた。
今、自分に出来るのは、店長の為に栗どら焼きを買うことだ。
その努力は見事に実を結んだ。

「店長、お待たせしまし…なんで寝てるっすか」
へなへなへな。
美紀は思わず座り込み、そのまま眠ってしまった。
静かな店内に二人の寝息だけが聞こえてくる。

静香は夢を見た。
志乃さんが笑っている。
何かの果物を持っている。
可愛らしい声で何か言おうとしている。

『五月待つ 花橘の香を嗅げば 昔の人の 袖の香ぞする』

確かにそう言って、志乃さんは消えた。
「花橘。ああ。あぁっ、そうかっ!やまとたちばなだっ!
…美紀ちゃん、なんで寝てるのよ。栗どら焼きは?」

「あ。店長。おはようございます。…その顔、もしかして」

「ふっふっふ。判ったのよ、あと一つの香り。やまとたちばなよ、やまとたちばな」