「はは、生憎だな、ひょうすべ。柳生の里を出る時に、命は捨ててきたよ。
さて、吹くか」
十郎太の胸が大きく膨らむ。

「うわ、そない息吸い込んでどないしまんねん。
えらい音するがな」
慌てて耳を押さえたひょうすべだが、その必要は無かった。
強く吹きこんだ筈の笛からは、不思議な事に全く音がしない。

「え。十郎太はん、壊れてまんがな、その笛」

「壊れてなどいない。人の耳には聴こえないのだ。ひょうすべ、いくら
お前が妖しのものでも聴こえぬよ」

「はぁ?」

そうこうしている内にも、増長天は近付いてくる。
十郎太とひょうすべのやり取りを気にする様子は無い。
「何を試みようが無駄。助っ人を呼ぼうとも、共にただ斬るのみ」

その時。
遠くから銀色の光が近付いてきた。
放たれた矢のように、真っ直ぐに向かってくる。

「来た」
十郎太が太い笑みを浮かべた。

「韋駄天、こっちだ!来いっ!」

うおぉぉぉんっ

空を切り裂き応えたそれは、銀色の毛並みを持つ犬。
小さいながらも、がっしりとした肉付きを誇る柴犬であった。

「い、犬ころでっか?!」
ひょうすべが呆れるのも無理は無い。
その気持ちを代弁するかのように、増長天が高らかに笑った。
「そんな小さい犬で、どうしようというのだ」

十郎太は一向に動ぜず、これもまた高らかに笑った。
「犬の強さは大きさに関わらぬ。韋駄天が来た以上、お前は負けだ」