「あの、何か」

「ええ。僕は専門外ですから、あくまでも私見なんですけどね、
お母様、軽い認知症を発症されている可能性があります。
ご自宅では充分、身の回りに注意なさってください」

認知症。
聞いた事はあるが、静江は自分達には関係ないと思っていた。
もとより根拠は無い。
誰よりも頑張ってきた母の身に、そのような事が
起こるはずが無いと静江は勝手に思い込んでいたのだ。

静江が高校に入学すると同時に父が亡くなり、
それ以後の人生の全てを子供に注ぎ込んできた母である。
街の食堂で働き続け、健康だけが自慢といつも笑っている母に、
認知症などという病名がつく筈が無い、
腹立ち紛れに静江は足音も荒く、病院を出た。
帰りの車中で、母は小さな寝息を立てていた。
確かに皺は増え、体も小さくなった。
白髪の増えた頭をそっと撫でた静江は、
突然、路肩に車を寄せて停めた。
涙が溢れて前が見えなくなったからだ。

ようやくたどり着いた自宅の前で、夫の拓朗が待っていた。
その優しげな顔を見て、折角止めた涙がまた溢れ出した。