もう10年も前の話だ。
山陰線と福知山線が合流する福知山駅に、駅弁の立ち売りを商う老人が居た。

立ち売りというものを御覧になった事が無い方もおられるだろう。
肩から下げた箱に様々な駅弁を詰め込み、ホームに入ってきた汽車の乗客に売り歩くのである。
総重量は40kgにもなるのだが、その老人は63歳という年齢にも関わらず、軽々とこれを担ぐ。


名を浦野晃という老人が、立ち売りを始めたのは昭和24年の頃。
当時はまだ食料事情が回復しておらず、駅弁と言えども中身は知れている。
南瓜か薩摩芋、或いは蒸しパンが主食だ。
それに筍や昆布を炊いたものが入り、相場が一個30円。
決して儲かる仕事では無いが、好きな仕事を選べる時代でも無い。
しかも彼には、病弱の母と弟妹がいた。
贅沢など言ってはいられない。

忘れもしない昭和28年、ようやく駅弁に米の飯が入ってきた。
二重になった折り詰めで、上に料理、下に米の飯が入って200円。
この頃から、皆生温泉や城崎に向かう観光客が増えてきた。
福知山駅は活気に溢れるようになり、
浦野にようやく光が差し込み始めた。

二へ