昭和30年代の話である。
日本はようやく、復興の兆しを見せ始めていた。
町のあちこちに、まだ戦争の傷跡が残っていたが、
人々に笑顔が戻ってきていた。
ここ、佐久田村もその一つ。
海と山に挟まれた穏やかな村である。
そこに一人の少年がいた。
少年の名を哲郎という。歳は、10歳。
父親は南方で戦死し、母との二人暮しである。
山間のわずかな土地を切り開き、そこで細々と
作物を育てていた。
そのため、学校に行かず、一日中、畑仕事を
手伝っていた。
近くに水が無いため、哲郎が毎日、山の泉から
水を運ばなければならないのだ。
桶一杯の水を天秤棒で担ぐ。
おそらく、哲郎の体重分ぐらいは優にある。
担ぐだけでも一仕事だが、その上で山道を
往復30分かけて運んだ。
日に何度も、何度も。
二へ
日本はようやく、復興の兆しを見せ始めていた。
町のあちこちに、まだ戦争の傷跡が残っていたが、
人々に笑顔が戻ってきていた。
ここ、佐久田村もその一つ。
海と山に挟まれた穏やかな村である。
そこに一人の少年がいた。
少年の名を哲郎という。歳は、10歳。
父親は南方で戦死し、母との二人暮しである。
山間のわずかな土地を切り開き、そこで細々と
作物を育てていた。
そのため、学校に行かず、一日中、畑仕事を
手伝っていた。
近くに水が無いため、哲郎が毎日、山の泉から
水を運ばなければならないのだ。
桶一杯の水を天秤棒で担ぐ。
おそらく、哲郎の体重分ぐらいは優にある。
担ぐだけでも一仕事だが、その上で山道を
往復30分かけて運んだ。
日に何度も、何度も。
二へ