食堂を出て、海岸沿いの県道には数少ないトンネルをくぐると、
「内浦重須(おもす)」という地区に出た。
この重須地区の海岸に突き出た小高い丘が長浜城跡で、
丘の西側には「長浜城跡」バス停が、
そして東側の埋立地に城跡専用駐車場があった。
海岸手前の城跡専用駐車場へ進んで行くと、
まず便所と城跡の説明板、城跡の立体模型があり、
神社の鳥居を挟んで、駐車場の横に登城口があった。
駐車場の先はすぐにヨットハーバーで、
駐車場は10台も停められない広さだった。
登城口の階段沿いに、頂上まで5分と案内があり、
階段を登って行ったら、
ほんとうにあっという間に山頂の曲輪群にたどり着いた。
長浜城は、
伊豆一国を領した小田原北条氏が水軍の基地としていた城。
甲斐武田氏が隣国駿河に進出すると、
駿河湾での海戦に北条水軍がこの城から出撃している。
しかし、天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐では、
豊臣の水軍(九鬼氏ら織田信長以来の水軍に加え、
長宗我部氏ら西国の軍勢も混成された大勢力だろう)を前に、
城に籠もっていた地侍たちは一戦も交えず逃走し、
あっさりと陥落した。
広い面積の第二曲輪には、
建物跡も示されている。
第二曲輪を奥の方から眺めると、このような風景。
城郭の遺構の説明も、調査結果としての遺構の展示も、
沼津市教育委員会はよくやったと思う。
第二曲輪の奥にはさらに、
櫓と堀の跡もあり、復元などがなされている。
櫓は、第一曲輪へ続く階段にもなっている。
堀の復元は、櫓の上から良く観察出来た。
第二曲輪の端に溜め池状に掘られている。
第一曲輪は長浜城の最高所で、
ここにも建物遺構がある。
第一曲輪から沼津市中心市街地方面を眺めた。
富士山の麓の、海岸沿いの市街地が沼津の中心市街。
沼津市中心市街地には、
武田信玄が築かせた三枚橋城があった。
北条領の伊豆との国境(狩野川下流)を警戒するための城だったが、
逆に、長浜城からはその三枚橋城がよく確認出来たという。
武田氏が滅亡した後、
三枚橋城は、駿河国を占領した徳川家康が接収し、
駿河東部の支配と国境警戒のため、
重臣の松平(松井)康親が城主となった。
そしてその後、
江戸時代初期に大久保氏が1代で断絶して廃城となったが、
三枚橋城が廃城となってから160年以上の後、
三河大浜城主で幕府若年寄の水野忠友が沼津の領主となり、
幕府の命を受けて沼津城として再築城した。
伊豆半島の付け根の西側は、
北西角の大瀬崎まで複雑な海岸が続き、
駿河湾最奥部の内浦湾は、
リアス式海岸と離れ小島(淡島)がある。
その内湾の波穏やかで船を隠しやすい位置に、
かつ駿河国沼津の三枚橋城の確認も出来る場所に、
長浜城は築かれた。
山頂部分に削平地の曲輪がいくつもあるが、
さらに、第一曲輪から海岸にかけての斜面に、
数段の小さな曲輪が連続している。
遊歩道を先端まで下りて、
第一曲輪を見上げると、すごい風景だった。
この長浜城は、城内で本格的な戦闘となったことは一度も無かったが、
駿河国が見え、外海とつながっていたことから、
国境の城として防備も考えられていたのだろう。
武田信玄が甲駿相三国同盟を反故にし、
駿河国に攻め込んで今川氏を追放してからは、
伊豆半島の北西部は非常な緊張状態となった。
武田氏は信玄の次の勝頼の代で滅んだが、
小田原北条氏が豊臣秀吉と断交すると、再び緊張状態となり、
水軍の大部分を小田原に移されていた長浜城はあっけなく陥落し、
そのまま廃城となった。
内浦湾の対岸の三枚橋城が、
廃城期間を挟みながらも駿河国東部の要衝と見られ、
再築城と城下町の大発展があったこととは、
非常に対照的な長浜城。
しかし、のどかな入り江に放置されたことで、
遺跡として城郭の大半が日の目を浴びることになった。
今後、北条水軍の解明が進む中で、
長浜城での水軍の様子の解明も期待したい。
下城は、駐車場とは反対側の登城口へ行ってみた。
登城口の前に、
戦国時代の軍艦の「安宅船」の平面展示があった。
もちろん、安宅船についてなど、説明板も充実している。
資料館施設を建てるほど出土品はなく、
市としてもこの程度の説明で十分と考えられたのかも知れない。
城跡見学としては、
このような充実した説明板があるとうれしいのだが、
沼津市で大きな市立歴史博物館を建設し、
駿河・伊豆の国境地帯の歴史を総括して見られても面白いと思う。
安宅船平面展示側の登城口に出たが、
ヨットハーバー側の登城口に戻る際、
城跡の県道を挟んだ真正面にある
農産物直売所「OH!MOS(おもす)」に土産物を買いに立ち寄った。
伊豆半島北西部の土産物を多く販売していて、
重須地区産のみかんを使用したみかん酢「想酢」もあり、🍊
土産に買った。
長浜城跡が観光地化されているわけではなく、
北条水軍の知名度も全然無い中で、
すぐに土産物を購入出来て良かった。
その後、沼津市中心市街地方向へクルマで走り、
沼津インターの近くで給油し、⛽
新東名高速道路を藤枝岡部インターへ走った。
藤枝市郷土博物館で、
企画展「こだま号と軽便の鉄道ジオラマ展」を開催中で、
伊豆半島からの帰途に見学に立ち寄れればと思っていた。
沼津市から静岡市を挟んで藤枝市へ移動するのは、
高速道路を飛ばしても結構時間がかかったが、
藤枝市郷土博物館の閉館時刻には十分に間に合った。
企画展の展示は、
昭和時代の新幹線が開通する前の、
様々な列車の模型が並べられていた。
藤枝を起終点にしていた軽便鉄道「静岡鉄道駿遠線」もあり、
また架空の私鉄や石川県の「尾小屋鉄道」の模型もあり、
古き良き鉄道の時代を堪能する模型展示だった。
その後、藤枝市の隣の島田市の製茶店で緑茶を購入して、🍵
国道1号線を愛知県の豊川市まで走り、
新東名に岡崎東インターで入って岡崎サービスエリアで夕食を摂った。



























