夏至上主義。



浅葉なつさんの「空をサカナが泳ぐ頃」を読了。

俺自身がダイビングを趣味としているということもあって、素敵な表紙の海の瑠璃色と、タイトルに魅かれて、本屋の本棚から一目惚れで掬い上げたのがこの本。

話の内容はかなりラノベ調で完全にフィクションだったけれど、「大人になっても忘れちゃいけないこと」っていうテーマにはとても好感を抱いた。



個人的な話になってしまうけれども、俺の夢は、めちゃくちゃ海が綺麗なところで、ダイビングショップを開くこと。もちろん器材とかのショップを併設して、うまくバリューチェーン組んで回していかないと食い扶持すら稼げないことはわかってるけど、やっぱりインストラクターやりたいなって。


親父がイントラの免許もってて、初めて親父に海の美しさを教えてもらってからずっとダイビングにとりこ。お金が掛かるから計60本くらいしか潜れてない初級ダイバーだけど、ちょっと人よりも珍しいのは、パラオ、ハワイ、グアム、サイパン、ベトナム、タイ、オーストラリア、沖縄本島、石垣、伊豆で潜った経験があるってこと。


どの海も本当に本当に綺麗なんだ。どうしてこんな世界があることを今まで知らなかったんだろうって、ちょっと後悔の念すら抱くくらい。そして、最高に気持ちいいんだ。人間でも、水の中だったら空を飛べるんだって初めて知った。


その、俺が最初に見た時の、世界の広がりや、生命の神秘を多くの人に伝えたいなって思う。それで、共感できる人が増えてくれたらめちゃくちゃ嬉しいだろうなって思う。




最近感じるのは、今、広告会社で働いて日々やってることもやっぱり同じことなんだろうなということ。


人の幸せのために、伝えるべきことを、色んな手段を以てして伝えて、共感を生み出すということが仕事の一側面。

得意先と生活者を一本道で繋げて、得意先にはビジネスを通じてのhappyを、生活者には、より豊かな生活を送ってもらう、ちょっとした幸せを感じてもらうお手伝いをしているということがざっくり捉えた時の我々の仕事の本質だろう。


それに照らして考えてみると、ダイビングのインストラクターって、海と人とを繋いでるんだろうなと思う。もう少し言えば、海の全てと、それを見て共鳴する人の心を繋いでるんだろうな。



忙しくてダイビングのことなんてほぼ常時忘れてるけど、その夢を、忙しさにかまけて忘れたくない。諦めたくないし、見えない振りをしたくない。常にどん欲に、自分のやりたいことを突き詰めたい。


そう思わせてくれた一冊。


ダイビングショップを開く時は、ぜひ一度いらしてください。
夏至上主義。夏至上主義。


有川浩さんの著書、「シアター!」「シアター!2」読了!!


有川さんの書く作品は、どれもすんなりと登場人物に感情移入できるのが特徴で、それは「あぁ、こういうことあるよね。」、「こういうこと言われたらこう感じるよね。」と言った、“共感の連鎖”によって引き起こされていると思う。


「厳しく当たる裏には、凄く優しい気持ちが潜んでるんだろうな。」
「こいつモテないだろうなと思ってたら、断言されちゃったよ。」
「こういう性格のやつってたまにいるけど、ほんと憎めないよな。」
「ああ、こういうとき女の子って恋に落ちる音を聞くんだろうな。」

そんな、ある種気持ちのいいくらいの共感の嵐が、ライトでポップな文体に載せられて、ガンガン頭の中に入ってくる。



ただ、本作においては単純に登場人物の言動に関する“あるある展開”だけではなく、ストーリー的にも“あるある展開”が軽やかに散見される点が、感情移入のし易さに拍車をかけている。即ち、現実的に想像しやすい「ダメ劇場再建物語」というわかりやすいテーマが、物語の根幹になっているからこそ、ガシッと胸を掴まれるようにストレートに伝わってくるものがある。

コミカルさと、ベタさと、その中での「これだ!」と決め打ちされた「ぶれないストーリー軸」がこの作品の取り柄じゃないだろうか。




そのテーマについての感想を述べれば、まずは「劇団」という、周りに関わっている人が多くいながらも、結構謎に包まれていることが多いこの組織のことを裏の裏からよく知れたことが一つ大きな収穫だと思っている。

私は仕事柄、「広告」を通じて人を楽しませる、人の心をつかむということに執心しているが、あくまで会社員なので、それは全て「ビジネス」になる。

他方、(商業でない)劇団は、劇団員への給料賃金もほぼ払えず、対価がないからこそ強制力をもたない「もの好き」の集まりであると語られる。



確かにその通りすぎて、登場人物の鉄血宰相と呼ばれる春川司が、疑問に思い、逆に興味を抱くのもとても頷ける話だ。何がそんなに面白いんだろう。人をつなぎ止めてる物って?求心力はなんなんだろう。

でも、魅力的な上演を見て、借金返済を成し遂げて、現実的に食っていける劇団に進化しようと、何とか喰らいつくしぶとい劇団員と触れ合っていくにつれ、債権者という立場と現実主義者という立場上、表面にこそ出さないが、内心どんどん演劇という物に前のめりになっていく春川司の姿に、読んでいてだんだん夢中になっていく自分が重なる。



夢中になってしまう理由は、広告という物を手がけているからこそ思うのだが、広告も演劇も似ているからだと思う。というのも、それぞれ色んな才能や機運が絡み合って、もちろん“意図して創られる”ものではあるけれども、見ている人にとっては面白い物は無条件に面白いのだ。

広告も演劇も、創る側は「どうしたらメッセージが最も伝わるか」。とにかくそれを物凄く考える。そのための最善の手法を採る。ただ一方で、一般的に見てる人は、何を意図して創られたかなんて考えない。受け手側はあくまで面白いか、面白くないかを一元的にその場で判断する。



だからこそ、ヒットするものもあれば、全く無味無臭で記憶に残らず終わってしまうものもあり、その点がかなり広告に近いんじゃないかと思われる。でも、とにかくヒットを飛ばし、観客を、クライアントを満足させるために、15秒か数時間かの長さの違いはあれど、躍起なのだ。

だから魅かれたんだろうな。演劇。




あとは、かなり個人的な感覚かもしれないけど、劇団運営のための“コスト感覚”を養うべく、春川司が劇団員たちに発破をかけるシーンも、逐一いいなぁと思う。

演劇だけでなく、広告においても、制作には積み立て式にお金が掛かっていく物であるので、真っ赤っかではなくて、黒字運営をしていくためには、コスト感覚がどうしても付きまとう。その点、「ああ、そうそう、そこ締めれば黒くなる」っていうポイントを、会社勤めの春川司が綺麗に指摘してくれるのも、営業をやってる身として読んでいて痛快だった。




最後に、登場人物の魅力が秀逸。

羽田は、子ども時代が足りない売れっ子声優、駆け出し団員。
巧は、弱くて、泣きべそ主宰で、とことん優しくて色んな意味で甘い。
牧子は、とにかくお姉さん気質で、弱さを滅多に見せない正統派女優。
黒川は、熱血馬鹿でとにかく突っ走り盛り上げ系。
ジンは、おデブキャラにザ・ネガティブで繊細。
石丸は、忠犬ハチ公といえる純朴さと鈍さと人懐っこさで可愛がられ。
茅原は、とにかくマイペースの二次元頭。
小宮山は、中途半端イケメンで、とにかく女たらしなのに割と一途。
ゆかりは、関西弁ドライ女で、とにかく竹割ったような性格。
スズは、とにかくドジッ子で、愛嬌が取り柄。
そして、春川司は、鉄血宰相の仮面を被った、超お兄ちゃん気質。

一人一人がとんでもなく魅力的。




これが、ラノベ系、有川ワールドだと、改めて感嘆。

この作風ほんとに好きだなぁ。3巻も楽しみである。
夏至上主義。


中山七里さんの「さよならドビュッシー」を読了。


怒り、悲しみ、恐怖、覚悟、畏怖、弁明、悦楽、安堵。

そんな人間の「核」を構成する要素、人間を艶かしくするそれら全てを、まるで音楽のように自然な流れの中に鏤めていく。

私が好きな何人もの作家さんには“見られない表現”、“見られない文章技巧”が鏤められていて、個人的には凄く読み応えがあったなと振り返って思う。

テーマは私が好きな“ピアノ”と“ミステリー”。そして、所謂“熱血魂”。それぞれ触れるべきことがある気がするので、以下、分けて感想を書こうと思う。

まず、“ピアノ”。

私も、もちろん手習いごとくらいのレベルでしかやってきていないので、「ピアニストの世界」を垣間見れたのは本当に面白かった。ピアノ弾きの端くれとは言え、ピアノは指の運指など技巧的な側面と、表現的な側面の二面の壁があることくらいはわかって弾いてきたつもりだ。

ただ、ヴェートーベンやショパン、ドビュッシーなどの人となりを把握して、譜面に込められた想いに思いを馳せ、忠実に再現するという制約があってなお、そこに表現を加えなければ、聞く人に情景を想像させることができるレベルに到達しないということに些か驚いた。正直、そこまで想像できなかった。どこの世界でも「プロ」は凄い。

文章的なところでいくと、本書には、度々ピアノを弾くシーンが登場するのだが、その度によくぞここまで表現のレパートリがあるな、と思わせるくらいの圧巻の単語力、表現力を感じた。曲調に合わせて、高揚感、強弱、速度、奥行き、流麗さ、そんなものをいとも簡単に表現して言葉を操っていく能力は、魅力的な文章を書くスキルとして見習いたい点である。


次に、“ミステリー”。

唯一惜しかったかなと思ってしまう。最後のどんでん返しが…なんて帯には書かれていたけど、この展開どこかで見たことがあったような気がする。確か東野圭吾の小説のどれかでこんな展開があったような。

本論の展開も「あっ!」と驚くような動機が隠されている訳でもなく、伏線もちょっとわかりやすすぎて犯人ももちろん事前にわかったし、「このミス」の大賞受賞作品と謳われるほどなのかなぁと小首を傾げてしまう。もちろん、どっかで読んでなかったら読めない展開だったと思うし、面白くはあったんだけど。なんて大口・辛口叩ける程のものは生憎何も持ち合わせてないけれども。


最後に、“熱血魂”。

解説にも書いてあったが、いわゆる「スポ魂」の部類に属するのだと思うけれども、これは本当に考えさせられたし勉強になった。

大やけどを負い、精神的にも二重に物凄い負担を強いられながらも、岬洋介という魔法使いに魔法を掛けられ、リハビリをこなし、コンクールに出場する。その一人の人間の中の葛藤模様、挫折と這い上がり。それに通ずる狂気にも似た信念。全てが生々しく、激しく、それでいて読む人に勇気を与えるものであったと思う。

戦う相手はとにかく己。周りの状況的にももちろんそうであったろうが、とにかく他人と比べてもどうしようもないということを、圧倒的な力強さで語っていく様は、清々しくさえあったと思う。


ピアノ曲の表現が多く出てきたので、本来ならば展開も遅々としてなかなか進まず読み手側も疲れてしまいがちになりそうだが、テーマ設定と卓越した表現力にてそれを回避できるだけの“超絶技巧”をみた。

時間もあったからか、久しぶりに思いっきり本の中に入り込んで、読めてしまった一冊。
また、インターネットで、また実際に周囲の意見としても、原発関連の東電の対応が遅いとの批判が見られた。けど、自分が本当に作業の現場に立つことになったら、どうであろうか。その想像をして、それから物を言っているだろうか。現に、作業員が何人も被爆し、且つ死と隣り合わせの危険を抱えながら、引き続き作業をしている。そういった現場に、自分の会社の社員を、何人も余分に送り込めるだろうか。もちろん作業をする最小限の人数にするだろう。菅首相が東電幹部を叱責したようだが、そこまで想像できたなら、情報の遅れも多少は仕方ないと思うのではないか。情報伝達の義務は、もちろんある。国民を守れるのも東電だけである。確かに福島県民の方は危険にさらされている。自分に置き換えてみたらすぐに情報は欲しいし、めちゃくちゃ怖いだろう。でもそれで東電を一方的に攻められるだろうか。

某企業は、地震の報道ばかりが続くと退屈だろうという趣旨のメッセージを発信した。

地位上、メディア並みの発言力を持つ某知事は、今回の災害を「天罰」だと言った。

チェーンメールでは、中部、関西から電気を送電するから、極力節電をしてほしいとのメールが回ってきた。実際にはそれは難しいようである。

都内に限らず、近郊のスーパーやコンビニでは、とにかく買い占めが目立ち、供給が間に合わなくなっているため、家庭ごとに物資の保有に偏りが見られる。


全部とは言わないが、これらの諸々の混乱、感情を煽ったのは、テレビやインターネットの情報によるところが多少あるのでは、と思う。

まず、今回テレビを見ていて気がついたのは、数多くのテレビ局やインターネット上の情報拡散が、不安を煽る構成になっていた、ということである。こういう時だからこそ、テレビは情報を淡々と伝えるべきなのだが、アナウンサーはさも大事であるかのように深刻そうな表情をし、声色を変え、素材がないから繰り返し地震発生当初の映像や、津波、火災の映像や、動転している現地の人のインタビューを流す。インターネットでは、原因のわからないまま、対策が示されないまま、起こった事象がありのまま文章で書き起こされる。

それを見た聴衆は、何かをしなきゃという意識や、焦りや、大事(おおごと)だという感覚は生まれるが、逆に冷静な対応ができなくなってしまったのではないか。

その点、枝野官房長官の冷静な記者会見や、NHKの冷静な情報発信、専門家を呼んで、原因の究明と対処法を交えた解説は、とても評価に値するのではないか。


もちろん、情報の往来は、受け手側の主観に大いに左右されるので、非常に繊細で難しいことは承知しているが、少々疑問が残る対応であったように思う。

あくまで、私の見た限りでの感想ではあるが、メディアが負っている役割は、情報を正確に、感情を交えずに伝達し、原因を究明し、対処法を示し、冷静な対応を呼びかけるという、国民の行動のメルクマールになるようなことであるべきではなかったか。

これから先、まだ報道は続くであろうが、テレビを始めとするマスメディアには、国民の行動の指標になってほしい。その責任を改めて認識して、今現時点で国民がどう動くのが今後のためになるのかを考え、情報を流してほしいと切に願う。
今回起きた大地震で被災された方は、本当に気の毒だと思う。

なんでこんなことになってしまうんだろう。確かに人間は自然に対しては、罪深き生き物なのかもしれないけど、みんな悪いことをしてるわけじゃないのに、一部の地域の人がこれだけ痛み、悲しみを感じるというのは、同じ日本に暮らしてる身として本当に辛い。

自分の会社の直属の上司が、実家がご夫婦で仙台で、安否確認が取れるまで本当に憔悴しきっていた。僕自身も、親族が水戸に住んでいたり、妹が筑波に住んでいたりで、安否確認に必死になっていた金曜日の夜。

うちの会社の人は、特にうちの部は、皆が残って他の人の身を本気で心配をして土日もこまめに連絡を取り合って、仕事も分担して助け合って、なんとかやっている。つくづくうちの会社に入れてよかったなと思った瞬間であった。


日本人(被災された地域の方)は凄いと思う。自分が被災した状況であることを想像すると、例えばコンビニの警備が手薄で、そこに食べ物、飲み物があったら手を伸ばしたくなってしまうだろう。ショッピングセンターがガラガラで、毛布があったら、持って帰りたくなってしまうと思う。中国やアメリカのメディアでは「日本人の忍耐力や冷静さ、秩序は実に高潔だ」「(こうしたマナーの良さは)教育の結果。(日中の順位が逆転した)国内総生産(GDP)の規模だけで得られるものではない」と、賞賛の対象となっているが、こんなときでも「自制」して、犯罪の件数も少なく、皆で助け合って生きていっているというのは、本当に民度が高い日本ならではの事象だろうと思う。

他方、実際に被災していない地域で、テレビやインターネットの情報に踊らされて、言いたいことを言い、やりたいことをやり、満足に浸っている人も見られた。

SNS上では、自分の心配ばかりしたり、何も気にせず配慮なき発言があったり、趣味や遊びの話などもいつもと変わらず飛び交っていた。一緒に常に深刻になって悩めとは言わないものの、誠に不謹慎なものである。

今現時点で被災された地域に役立つのは、物資の支援であったり、義援金、復興支援金を送ること、また電気の節約だけであろう。その他のことは、きっと気持ちは非常に嬉しいし、亡くなった方も救われるだろうし、そのための労力は否定はしないが、自己満足で終わってしまうのは何か違う気がする。もちろん物資支援なんか、自分で自分の食いぶちを確保できない人がいっても、逆に迷惑なだけであろう。自分で責任を持てる範囲で、何か実質的な支援に繋がることをしてあげるべきだろう。


続く
今期、自分が就活で大変な思いをしたからか、
忙しい仕事の合間をぬって、色んな子のOB訪問を受けた。


ほぼ全員のOB訪問を受けたし、真夜中に何通もESの添削をした。

けど、今年出会った就活生は軒並みレベルが低かった。それは、もちろん広告業界のことを何も調べてきてないという点もしかりだが、一番問題だと感じたのは、人間的に最も大事にしてほしい、礼儀やら、マナーやら。

例えば、時間を割いてるのに当たり前のような顔をして、お礼メールの一つもよこさなかったり、よこしても非常に淡白で「有り難うございました。次に繋げます。」くらいの内容だったり。

自分も昭和ぎりぎりの代だし、中3からゆとり教育が始まった世代ではあるけど、礼儀なんかは非常に厳しく育てられた覚えもある。これが昭和と平成の壁だろうかと、仮説を立てたくなるほどの体たらくぶり。


相手が自分のために全力でぶつかってきているなら、自分も全力を出し切ってぶつからないと失礼だ、と思うのが普通の感覚だとおもってたんだけど、世の中の価値観は移り変わってしまっているのであろうか。

行きたい会社の社員にあってるのに、その人に評価されようとしないのも、いかんとも理解しがたい不思議な現象だと感じる。自分なんか、割と必死に色んな人の理解を得ようとしたんだけどな。。


更に追い討ちをかけるように、風の噂で聞いた話では、代理店に入りたいのに、広告会社のことを何も知らずに来るやつが多いとのこと。どれだけ世の中をなめて、就活をなめて掛かってるのか、喝を入れてやりたいくらいである。

そういうとこ、姿勢として、大事なんじゃないかな。
$夏至上主義。

どうもこんばんわ。

たまには広告的な話もしないとなと思い、凄いなと思ったものを書き留めてみる。

今回は、新聞の競合掲載紙チェックをしていた際に見つけた極上の一品。最近ANAの「誘うドラマ」に感動したばかりだけど、それに引き続き「凄いな!!」と感動を覚えた。

それは、2月3日の邂逅。
朝日新聞の広告特集企画。その名も
「ARASHI meets MANGA 僕らの肖像

15段カラーで複数ページにわたって、日本の名だたる漫画家が嵐の各メンバーの肖像画を書いて、広告特集を組んだ事例。


まず凄いのは、この媒体選定

新聞っていう、広告費的にも、表現的にもかなり制約がある媒体を用いて、ここまで人をおもしろがらせるアイディアを生み出したことに圧巻し、尊敬の念を抱いた。

確かに、紙=キャンバスっていう風に捉えれば、紙面上は自由な表現スペースだ。ただ、そこに漫画を描くかと言われると、元々情報信憑性も高い硬派なメディアで、見ている層もかなり年配が多い中で、「漫画」を組み合わせる発想力/チャレンジ精神は凄い。



次に、この企画内容
今広告的にも、SMAPに匹敵するほど力を持つ「嵐」というタレントグループを器用したのは正解であろう。さらに、彼らの「肖像画」を描くというアイディアも、バズって貰えたり、単品購入してもらえたりするポテンシャルを秘めている。

そもそも漫画家といっても、年配から若手までたくさんいる中で、どの年代にもウケる漫画家を抜き出して選んでいるところもミソであろう。



最後に、ボリューム
そもそも、読み飛ばされがちな新聞広告で、ここまでの規模感や存在感を出すことは、かなりパワーが必要なことである。

今回は5社?のクライアントをまとめあげ、一つの企画からワンボイスでメッセージを発信できるという、広告業界的には望ましくもなかなか実現しない、異例のセッションだ。

これを実現させた代理店営業、メディア担当は賞賛に値する。どうやって話を進めていったのか、ぜひとも過程を知りたいものである。



以上、広告マン的には見ていて気持ちがいいほど、素敵なアイディアだと思う。素晴らしい。

これどこの代理店がやったんだろう…。すごく気になる。できれば、うちの担当会社にもこういうこと提案できたらいいなと思う。
夏至上主義。


二本目、白夜行。

ご存知東野圭吾の代表作。
テーマが暗すぎて、正直触れるといつも陰鬱な気分になるんだけど、でもこういう事実って陰になっているだけで、世の中にはたくさんあるんだろうから知っておかなきゃっていう義務みたいなものを感じる。

映画自体で行くと、原作のような“一輪の大花火があがったような種明かし”みたいな感じはなくて、もう途中から結構わかりやすく伏線を繋げちゃってて、盛り上がりには欠けたかも。

一つだけ、船越演じる刑事が、最後桐原亮司に過剰に執着して、肩入れしてたのが展開として謎で気になったんだけれども、それ以外は割と忠実に再現されてたし、そもそも昭和55年っていうかなり古めのテイストをよく表現しきれてたんじゃないかなとは思う。主人公の雪穂と亮司が浮世離れしすぎてた気がしないでもないけれども、それは脚本上しょうがないことだと思うし。

キャスティングっていう意味では、高良健吾と堀北真希はばっちりだった気がする。幼さと何するかわからないミステリアスで怖くて、変に大人びたところが混在する人じゃないと当てはまらないから、そういう意味では山田と綾瀬のドラマの時よりよかったんじゃないだろうか。


人には必ず朝と夜があるけど、私は夜だけだった。
でも、明るく照らしてくれるものがあって、それがあれば私は生きていけた。

この言葉が凄く印象的で、どんなに不安定で歪な形をとった生や愛でも、人間であるから生み出すことができてしまうんだなと思ったら、感動やら恐怖やら期待やら色んな感情が湧き出てきた。こういう状態を赦してしまえることが、創り出せてしまうことが、人間が人間である所以なんだろうなと思う。

もっと世の中、いい方向に転がっていけばいいのに。夜があっても、白夜が一生続くんじゃなくて、必ず太陽が見れればいいのに。そういう世界になってほしいなと切に願う。
夏至上主義。


二本の映画を見た。

まず一本目、ウォールストリート。

俺の友達にはたくさんの証券マンがいるけど、彼らの内実は非常に見えづらい。就活をしてたときにも何となく聞いてただけで、実際の場中なんて想像がつかなかった。だからこそ、自分の見たことも立ったこともない舞台で、縦横無尽に情報をやりとりし、交渉し、企む証券マンを見て、不覚にもかっこいい!!と憧れを覚えてしまった。それだけで見る価値のある映画である。


ぶっちゃけ人材リソースはうちの会社も証券会社もそんなに変わらないんじゃないかと思ってたけど、やっぱりなんだかんだいる人の質が違うんだろうなと思う。広告みたいにアイディアベースで積み上げていくというよりは、いかにゴールに最短でたどり着けるかっていう効率型の思考回路の人が多いってことが最大の違いと言えよう。コンサルもしかり。そりゃビジネスが違うんだからそうなるわな。

きっと凄い頭のいい人が揃っていて、凄い口のうまい人が揃っていて、凄い策略家もたくさんいて。情報と駆け引きのの交錯、面白いだろうな。


あともう一つ思ったことは、どの世界にせよやっぱり自分の武器は「知識」なんだよね。それも、武器になるような出来る限り鋭敏で専門的な知識を身に武装し、それで初めて投資を考えてる巨大権力と対等に渡り合える。劇中、主役の新エネルギーのプレゼンの凄絶さに感動してしまった。

関係ないけど、法学部時代に金商法少し齧ったときに風説の流布とかやったなぁと懐かしく思い出したり。でも、こんな“知識”はもう今じゃ役に立たず。なんか勉強し直そうかな。。。。


さて、話が脱線したけれども、この映画のプロットには正直少し疑問が残った。結局テーマがなんだったのかわかりづらかった。というのも、シンプルなようで実際には一人の証券マンの「人間ドラマ」にフォーカスが当てられている故、主役をとりまく利害関係者との恋愛と欲望とビジネスっていう3つのテーマが混在していて、あっちいったりこっちいったり。

「欲望すらも愛せるか」、「金はあっても心は貧しい」、「否これはゲームだ」

っていうかっこいい台詞がいくつもありながらも、結局ジェイコブは恋愛を採るのかよ、とか、Mr.ゲッコーは結局孫に負けるのかよ、とか、ちょっと構成的に勿体ないなと思ってしまった。一方では、スケール感や、人間がやっている駆け引きの感じとかを出すには、丁度よかったのかなというような気もするんだけど。。

もう少し、最後までひたすらかっこつけた、“本気の潰し合い”、“駆け引き一本気”を見てみたかったなと思う。

でも、普段見れないし、これからも絶対見ることのない世界が見れたのはよかった。とても勉強になった。
最近、好きなアニメをもう一度見よう習慣をつけている。

例えば、グレンラガン。ロボット、合体、宇宙アニメの代表格。最も熱いアニメなんじゃないかと思う。

人間としての数々の葛藤を繰り返しながらも、天を衝くドリルで、自分たちの未来を勝ち取っていくという内容。人間がいかにちっぽけで、いかに仲間が大切で、いかに諦めないかが大切で、大切なものを守るためにどれだけ人が強くなれるのかを思い知らせてくれる。

このアニメの凄いところ。それは、「アニメ」たるものの凄いところを集約していることだろう。俺が考えるアニメっていうのは、普段俺らが照れくさくてできないようなことや、しようと決意してもできないようなことを平気でやってのけて、僕らに勇気をくれたり、憧れをくれたり、道標をくれたりすることである。

このアニメは夢をくれた。想いの強さを教えてくれた。諦めないことを教えてくれた。それは、自分にとっての財産だろう。


そしてもう一つ、とらドラ!学園生活を通じて、今風で繊細な若者たちが、自分の成長の鐘を鳴らしながら、互いにぶつかって前に進んでいく、進んでいかなきゃならない運命を受け入れる物語。

わざとらしく描写するものとかが多い中で、微妙な恋心の変遷をうまく表現していて、全く飽きない。恋愛ってこういうもんだよなって思ったりする。

そして、何より感動する。涙できる箇所がいくつもある。実際に泣くほど相手を想う気持ち。子を思う親の気持ち。もう全てが美しいよなと思う。

こういう大事にしたい気持ちがたくさん詰まってるアニメ、年齢が行ってる人は特に最近のアニメを気持ち悪いとか、そういう目で見たりするけれど、やっぱり宝箱に思える。たくさん見て、繊細な心を育てていきたい。