自由を求めて、求めて、世界をみたら、
本当の自由は、人間である限り、叶わないんだと、何かが解かれるように私の中に浸透した。
この表現は、ネガティブに感じるかも知れないけれど、
たぶん、自由の差し示すところが、普段使う範囲と少し違っている。
だから、私には安堵感もあるのです。
「ここまで」の中で、精一杯の自由を表しているつもりであれば、満たされないけど、
「ここまで」が見えていれば、自覚できるから。
ソノサキも、もし行けたら、自覚できるから。
縛られていることに気づくことが、ほどくことへの一歩で、
またひとつ、檻をみつけた。
それが、嬉しいのです。
私は、こんなにも、自由でありたいと思っている。