姫路城の復活で「日本の城」ランキングが大幅変動する可能性 | 世界に目を向けグローバル、地方(京都・東京・岡山・静岡・大阪・神戸・横浜・金沢・長野)を中心にグローカル=iPhoneAndroidAPIブログ

世界に目を向けグローバル、地方(京都・東京・岡山・静岡・大阪・神戸・横浜・金沢・長野)を中心にグローカル=iPhoneAndroidAPIブログ

地域目線で、世界を思考していきたいですね! 地域の紹介、世界の話題を考える。地方(京都府・東京都・岡山県・静岡県・大阪府・兵庫県・神奈川県・石川県・長野県など)の善さをアピールしつつ・・そんな感じで・・ね。iPhone やAndroidに役立つ情報も・・

姫路城の復活で「日本の城」ランキングが大幅変動する可能性


姫路城



日本の城」勢力図に異変!? 3位急浮上の「姫路城」に2位「松山城」が危機感…どうする1位「熊本城」気になる“天下とり”の行方


国宝・姫路城(兵庫県姫路市)が「平成の大修理」を終えてグランドオープンした。

 連日、整理券が配布されるほど大勢の観光客でにぎわっている様子を苦々しく見ているのが松山城(松山市)だ。実は、世界最大級の旅行口コミサイト「トリップアドバイザー」の「行ってよかった! 日本の城ランキング2014」で、松山城は熊本城(熊本市)に次いで2位になった。しかし、全国的な知名度を誇る3位の「白鷺(しらさぎ)城」が復活したことで、次回は大幅にランキングが変動することも予想される。果たして、巻き返し策はあるのか。(豊田大祐)

「平成の大修理」終了で“風前のともしび”

 「さすがは日本を代表する名城。美しい姿は魅力的で、グランドオープンには敬意を表したい。正直、姫路城の人気ぶりには脅威も感じています」

 松山市観光・国際交流課の織田祐吾課長は、控えめな口ぶりで話す。

 このランキングは、5月~翌年4月の1年間に、日本の城(城跡含む)に投稿された日本語の口コミを、星評価(5段階)の平均、口コミの投稿数などをもとに独自のアルゴリズムで集計している。

 「日本の城ランキング2013」では、1位が熊本城、2位・犬山城(愛知県犬山市)、3位・松江城(松江市)の順で、松山城が6位、「平成の大修理」で外観を見ることができなかった姫路城は11位だった。それが1年後にはベスト3が大きく変動。1位の熊本城は変わらなかったが、2位は松山城、3位・姫路城となった。NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」で姫路が舞台になった効果もあったとみられ、平成の大修理が続いているなかで順位を上げた。

 姫路城のグランドオープンは、松山城の順位を揺るがす事態になりかねないが、織田課長は「ピンチをチャンスに変えることもできるはず」と強気だ。

 実は、姫路城と松山城には共通点がある。

 どちらも江戸時代までに建造された現存12天守に数えられ、天守や小天守、櫓を「ロ」の字に結ぶ「連立式天守」はこの2つの城しかない。また、道後温泉(松山市)と有馬温泉(神戸市)は、ともに「日本最古の温泉」とPRしている。

 こうしたことから、織田課長は「さまざまな観点から姫路市や兵庫県との交流を進めていけば、新たな道が開かれるはず」と指摘している。

歴史マニア垂涎、城マニアも高評価

 ところで、松山城が人気を集めているのはなぜか-。

 トリップアドバイザーに寄せられた口コミ情報をチェックすると、「悠久の歴史を感じさせる。内部からは松山市内の景色が美しく見え、甲冑や刀剣、書物なども展示されており、歴史マニア垂涎(すいぜん)」「城にリフトがあり、遊園地みたい」「コンクリートの張りぼてが多い中、松山城はとても見ごたえのある素晴らしいお城だと思います」などの声があがる。

 松山市観光・国際交流課は(1)元来の資源価値(2)効果的なプロモーション(3)おもてなし-の3点を強調している。

 松山城を創設したのは、豊臣秀吉の家臣だった加藤嘉明。20歳の時に賤ケ岳の戦いで「七本槍」の一人として呼ばれ、関ケ原の戦いでは徳川家康側についた。戦功が認められ20万石を与えられた嘉明は、松山城を築いた。その後、嘉明は会津へ転封されたが、松山城は蒲生氏、松平氏へと移された。

 現在の天守は安政元(1854)年に復興されたが、小天守や櫓などが放火や戦災で焼失。だが、昭和41年から全国でも例を見ない木造による復元が進められたきた。現在は大天守や門など21件もの国重要文化財を擁し、勝山(標高132メートル)山上の本丸一帯は、ほぼ旧来の姿を取り戻した。

 創建当時は五重だった天守を三重にしたために寸胴(ずんどう)っぽく見えるが、城マニアたちの間では高く評価されている。平成18年には、日本城郭協会が選定した「日本百名城」に選ばれている。

 また、観光ボランティアガイドたちの存在も松山城の人気上昇に一役買っている。30~120分の4つのコースがあり、観光客らに付き添って詳しく解説してくれる。

 「近年の城ブームで、私たちも観光客も本物を見抜く目が養われてきました。確かに姫路城のグランドオープンで次回はランキングを落とすかもしれませんが、そう大きくは落ちないと思っている」と織田課長は話している。

“国盗り合戦”はこれからが本番

 そんななか、本丸だけでなく二之丸(現・二之丸史跡庭園)や三之丸(現・城山公園堀之内地区)の整備も進められている。

 明治時代に兵部省の管轄となり、太平洋戦争終戦まで陸軍歩兵第22連隊の兵舎があった三之丸は戦後、野球場やテニス場、プール、競輪場、がんセンターなどの施設ができた。だが、平成12年に策定された「城山公園堀之内地区整備計画」にもとづいて、多くの施設を移設・撤去した。その結果、「松山城の大きな特徴である本丸と二之丸を結ぶ『登り石垣』や二之丸に再建された櫓などがよく見えるようになった」(松山市公園緑地課)という。

 今後はさらなる整備も検討されており、二之丸を囲むように巡らされた堀を復活させることについても議論が進められている。この堀は戦後、米進駐軍が「衛生的ではない」との理由で埋めさせたという経緯があり、本丸と比べて10分の1程度の入場者しかいない「二之丸史跡庭園」に活力を与える方策として期待されている。

 しかし、文化庁は全国の城郭で乱暴な整備を避けるために「保存管理計画」の策定を求めており、松山市も立案作業を進めている。

 姫路城の「平成の大修理」が終わり、城をめぐる全国の勢力図は大きく様変わりしているのは間違いない。“生き残る”ことはできるのか。これからが正念場だ。