佐世保の事件を考える | iPhone De Blog

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最近、未成年の残酷な殺人事件がマスコミを賑わせているが、内容もともかくとして、やはりその関係者の背景を見ると「現代はおかしい」と感じる。

犯人の子は、親の金に任せて、子どもの頃から塾やら習い事を沢山やったのだろう、成績優秀で学芸やスポーツも秀でて親は弁護士で地元の名士と言う典型的な現代の勝ち組一家だ。

恐らく、親も相当勉強して現在の地位を掴んだ筈だし、調べれば、そもそもそれなりの家系かもしれない。

同様に子どもも将来は東大でも受験できそうな賢さだったと言うが、
本来、勉強や芸術、スポーツと言うのは人間を愛する為にやるものではないのだろうか?
幾ら受験勉強やって習い事へ通って優秀な成績を収めても「人を殺しちゃいけない」と言う単純な事は覚えられないのだろう。

父親は奥さんが亡くなって半年くらいで後妻を貰って、子どもはマンションでひとり暮らしと言うのもマスコミの絶好のネタになっていて当分騒がれるだろう。

こう言う事件が起こると、すぐに「少年法」が話題になるが、ウィキペディアで少年法を見ると『現行少年法は昭和23年、CHGの指導の下、米国シカゴの少年犯罪法を模範として制定された。当時は第二次大戦後の混乱期であり、食料が不足する中、孤児などが生きていくために窃盗や強盗などをする少年が激増し、また成人の犯罪に巻き込まれる事案も多く、これらの非行少年を保護し、再教育するために制定されたものであって、少年事件の解明や、犯人に刑罰を加えることを目的としたものではなかった』とある。

そもそも少年法が作られた目的と現代の少年犯罪の内容を考えると、法律の目的が明らかに異なるし、現代で「生きていくために窃盗や強盗をする」少年少女と言うのは殆ど居ないだろう。

精々、カツアゲ程度で、そう言う目的で殺人事件が起こったと言うのはあまり聞かないし、あったとしても「遊ぶ金欲しさ」だ。

何故なら、そこまで困窮していると法的に援助があるからだ。

先の殺人事件も「人を殺してみたかった」と言うとんでもない理由の様だし、最近聞いた事件でも「LINEで悪口を言われた」等、本当に下らない諍いが殺人へ発展しているケースが多い。

結局、これらは全て現代までの社会を作ってきた大人の責任であり、だからこそ「悪いことをしたら処罰される」と言う単純な事を教える為にも少年法そのものが不要だと個人的には思っている。

そうやって、自分の子どもを含めて、子ども達が処分されるのが嫌なら、そう言う事をやらない様な躾や教育をすべきだが、現代ではそれを先にやるのは既に遅いだろう。

子ども達の方が良くわかっていて、先の子どもも賢い子だから、例え、人を殺しても少年法があるので厳罰を下されることが無いのは良くわかってる筈で、ついでに解剖まがいの事をやっても大して関係ないだろうと思ったかもしれない。

何せ親も弁護士だから、少々変な言動をしていれば「心神喪失」や「心神耗弱」等と言う扱いにしてくれて処分も軽くなると言う程度のことも承知しているだろうから精神鑑定へ流れて、異常者として罪が軽くなる可能性もある。

現代で、そう言う事件で騒がれる程の酷い犯罪を起こす子どもというのは大抵の場合、親から叩かれたことも無く、痛みも分からないまま育った子どもで「まさかあんな良い子がそんな事をするなんて」と言うのは必ず聞かれるセリフだ。

単純に法律があるからと言う理由で、そう言う子どもを保護する必要なんて全く無いと思えるし、逆に、そろそろ親共々法的な責任を取る処分も必要かもしれない。

そう言う大切な躾も教育もせずに、塾や習い事ばかりやらせる事のリスクは負って貰わないといけない。

まあ、親に関して言えば、完全に社会的な厳罰は受けて、この先一生弁護士なんて仕事は出来ないだろう。

そもそも著名人な上、元々、狭い世界なので、例え、他所の土地で仕事をしようと思っても「あそこの先生は。。」と言う事であっと言う間に評判は伝わるだろうし、どの業界でもそうだが、商売敵の悪い情報は早く伝わる。

但し、本人も親も法的にも社会的責任を負わなければいけないと言う事を明らかにした上で、そもそもの教育そのものを変える事も大切で「少年法」を無くして厳罰化するだけでは解決しない。

そうでなければ、飲酒運転の厳罰化と一緒で、事故を起こした場合に「酒を飲んでいたから」と言う理由でのひき逃げが年々増加しているが、本末転倒の様な形になっている。

少年犯罪も見つからなければ何をしても良い。と言う方向へ変わる筈で、恐喝の発覚を恐れて殺人と言う事も出てくるかもしれないし、目に見えない陰湿なイジメは益々増加していく筈だ。

子どもたちを教育するの何の為か?と言う事を教えようとしても、
周囲の大人が現代の馬鹿くさい受験競争を認めている限り、今の学校現場だけでは絶対に解決できない。

マスコミはスポンサーの関係で、そう言う諸悪の根源を追求する方向へは話を持っていけないので、すぐに学校現場がどうのと言う話になるが、ハッキリ言って佐世保の先生達は良い迷惑で、逆に同情する。

高々、今の教育現場で変えられるものなんて何もない。精々、学校へ居る間に問題を起こさない様にと言う程度のことしか出来ないだろう。

この事件はそう言う「おかしな現代」の象徴の様な事件だと思えるし、何処でも起こり得る事件であるが、実はもっと賢い子どもはそう言う馬鹿な事件を起こさないのだ。

そう言う事をすれば自分のバラ色の人生が駄目になることをちゃんとわかってるので発覚しない様に悪いことをする。

そう言う優秀な子どもは大人になると官僚や大臣になって、まかり間違えば大量殺人に繋がる原発を推進するか、もっと大量殺人となる戦争を企てる賢い大人になってアホな庶民の子どもたちは戦争へと駆り出すか、そう言う連中と一緒になって金儲けをして世の中を動かして行くので、そうそう世の中は変わる訳が無い。