今日は午後から熊本で会議で、午前中に少し時間があったので日曜日で終わる印象派展へ出掛けた。
大学でクラシック音楽に出会ったが、元々絵が好きで、機会があったら洋の東西を問わず出掛ける様にしている。
絵が音楽と違って素晴らしいのは一瞬で画家の素晴らしい才能に触れられる事だと思う。
音楽の場合、作品は残っていてもあくまでも楽譜なので、演奏してナンボであり、その演奏が必ずしも素晴らしいとは限らない。
もちろん演奏が素晴らしいとしても元々それが作曲家が意図した演奏かどうかは分からない。
例えば、ラフマニノフのピアノ協奏曲三番などは本人が弾いてる演奏は思った程ロマンティックなものでは無いし、本人もそう言う作品ではないと言っている。
又、音楽は時間の芸術なので作品を把握するのにも数分から数十分、ともすれば数時間時間が必要だが、絵の場合は一瞬で良い。
とても普段絵画に縁が無さそうなオバちゃん達が「うゎ~これ綺麗かね~」「あたしゃこっちが好いと~」などと言ってたが、それで良いのだ(笑)
本人が描いたものは百年以上経った博多のオバちゃんにもその素晴らしさは分かる訳だ。
しかし、そう言う絵画でもクラシック音楽と共通する事もある。
それは作品が描かれた時期だ。
同じ画家でも若い時期と老齢期では全く作風が異なる。
画家の生没年は名前の横に大抵書いてあるので製作年を見れば何歳の頃に描いたのか分かる。
同じ画家でも若い時期と老齢期では全く作風が異なり、その成長の過程や人生を垣間見る事が出来る。
印象派で有名なモネは睡蓮で有名だが、あの落ち着いた作品は60歳を過ぎてからで、若い頃は全く違う作風で40代の頃は後の作風を含めて様々な手法を試みている。
人間も40代はまだまだギラギラしてるし、自分もそうだった(笑)
もちろん、人生山あり谷ありも一般人と同じだ。
妻と死別した後、その看病で献身的に尽くした女性と再婚し住んだ安住の地で描いたのが睡蓮。
色々な物を削ぎ落として描いた素晴らしさは技法だけで得られたらものではないと言うのが分かる。
そろそろ人生の色んなものを削ぎ落としたい年齢になってくると、そう言う晩年の作品も違って見えるもんだ(笑)
そう言う視点で見るとターナーやモネが10代の頃に描いた作品もあり、当然それらは後の作風とは全く異なり、モーツァルトやベートーベンの初期の作品や先日弾いたビゼーの交響曲などと同じ様な瑞々しさを感じるし、晩年の作品は同様に年齢と経験を経た深さがある。
しかし、今回の展覧会で一番印象に残ったのはウジェーヌ=ルイ・ブーダンの作品だったかもしれない。
30代だった彼はモネが10代の頃に戸外で絵を描くことを教えた師匠であり、やがてモネは印象派の巨匠となるが、ブーダン自身、青空と白雲の表現に優れ、ボードレールやコローから「空の王者」と呼ばれる程の画家。
そのブーダンの作品が時期を分けて展示してあったが若い時期の作品は驚愕のデッサン力だった。
印象派はぼやっと描けば良いからデッサン力が不要と思うのは大間違いだ。
素晴らしい構成力やデッサン力があって初めて無駄なものを削ぎ落とす事が出来る訳で、その辺りはバッハやモーツァルトの演奏に似ている。
ブーダンの晩年の作品はまさにそう言う素晴らしさを感じる作品で、ほんの些細なタッチで風景の中に描いてる人物や動物がイキイキとしているからこそ画面半分以上を占める空が美しく映えている気がする。
絵画展と言うのは短い時間の間にそう言う様々な画家の人生や時代に直接接する事が出来る貴重な機会だと思っている。