先月は、家人が行きたいと言っていたインカ帝国展へ出掛けた。
正確には「マチュ・ピチュ」へ行きたいらしいが、非常な高地にあって、足腰がかなり丈夫で無いと行くことが出来ない「マチュ・ピチュ」の様子を知って、あんな場所へ行くのは無理そうだと知った様だw
個人的にはマチュ・ピチュもインカも全く興味が無い為予備知識は無かったが、あの辺で使われている「ケチュア語」の「インティ・ライミ」と言うのが「ナオト・インティ・ライミ」に使われていて、「太陽の祭り」と言う意味らしいと言う程度しか知らなかったが、これを家人に言うと「あんたはどうしてそんなマニアックなことは詳しいんだ」と言われたw
「ナオト・インティ・ライミ」のブログはこちらw
http://ameblo.jp/nananaoto/
その程度の予備知識で、実際に、眺めてみた印象は『何と遅れた文明で且つ優れた文明だったのか』と言う事。
実はインカ帝国と言うのは超古代文明かと勝手に勘違いしていた ← そらムー大陸とかやろw
つまり、紀元前の文明なのかと思っていたら、展覧会に飾ってあった物は、時代的には1200年~1400年くらいの物で、日本で1200年~と言うのは鎌倉から室町時代
装飾品や陶芸品、その他の文化にしても圧倒的に日本文化の方が優れているが、これはやはりそれ以前から大陸と文化交流をしていたお陰だろう。
そう言う長い目で見りゃお隣同士で、もう少し仲良くしても良さそうなもんだが、そう行かないのが人間の悲しいところだ。
この南米の辺境の地で独自に発展したインカ文明では文字や車輪、貨幣すら無かった様で、殆どの装飾は絵や模様で構成されている。
これはケロと言われる杯だが、この「ケチュア」語と言う言葉、ここでは紹介しないが、何せ中心地が「クスコ」と言うくらいで、王の名前など日本で言うには恥ずかしい様な言葉が使われているのも文明の違いだろうw
その他、遅れていると言えば、生け贄が信じられていて、ミイラもまだ作られていて幾つかのミイラも展示されていた。
しかし、一方では、カミソリの歯も通さないような建築技術
(これは気長に硬い石で削って形を合わせたと言うから別の意味ですごい)
インカ道と呼ばれる5千キロに渡る道路
などの他注目するのが、この「キープ」と呼ばれる縄で、これがインカの通信手段だった様だ。
このキープは恐らく独自のデジタルデータだと思われるが、これを持って長いインカ道をシャスキと言う飛脚が走って離れた場所の行政官へ伝達した様だ。
又、インカの統治方法も独特で、当初は武力(と言ってもたいした武器は元々無いのだが)による侵略でも、すぐに多くの貢物を相手のトップへ渡して「オレたちの仲間に入れば良い暮らしが出来るぞ」と言う形で懐柔しながら、独自の社会集団を形成させ領土を広げて行った様だ。
その後、少数のスペイン人によって圧倒的な武力の差で滅亡する事になったのは残念な話だが、人類の発展は長い目で見れば民族の武力闘争の歴史でもあり、現代でも「オレ(アメリカ)達の仲間に入れば良い暮らしが出来るぞ」と言う事でTPPやら訳の分からんもんへ参加してる様相はインカの時代とたいして差がない。