三國連太郎と言えば、最近は佐藤浩市の父親と言う方が分かりやすくなったが、僕の中では様々な役をこなす怪優と言う印象の人だった。
その三國さんの闘病中のメモに演技論や残された時間をどう過ごすかに関するメモがあったらしい。
「過ぎた日 再びはない。演技もまったくおなじである」
と言う言葉など、演奏にもそのまま置き換えられる。
特にリアルタイム性のある演奏や演技は仮に記録が出来たとしても、2度と同じ事は出来ない。
そして、その為に使う練習や勉強の時間も同じであり、日々無為に過ごした時間は返って来ない。
そうやって積み重ねた物を一瞬の時間で最高に表現するのが一流の演技者、演奏者だろう。
最高に表現する事は誰にでも出来る事では無いが、積み重ねる事は誰にでも出来る。
短い言葉だが、そう言う事まで教えられている様な気がする。
亡くなる前のメモにも
「どう闘って生きるか?」
と言う言葉を残して、最後まで気力が衰えてない様子がわかる。
私生活では色々話題もあった様だが、まさに怪優らしい人生だったのかもしれない。
ご冥福をお祈りします。