「随時随所楽しまざるなし」(いつどんなときでも楽しみを見いだすことはできる)
「楽しみ」と言うのは、別に遊んでいる時や趣味の時間の様な好きな事をしている時だけでなく、勉強の中や仕事の中でも同様だと言う事だ。
これはポジティブ思考の基本でもあると思っているし、非常に同感だ。
今朝、ラジオで「デンマークには試験が無い」と言う話を耳にした。
最初の部分を聞き逃したのだが、どうやら、講談社の雑誌の編集者の話で、今度の特集で、混迷の日本を変えるヒントとして北欧に学ぶと言うのをやるとか言う話だった。
「本当?」と思い、この記事を書くのに少し調べたら、確かに、小学校の間ペーパーテストの類は無い様だ。
試験が少ない国はこれ以外にフィンランドも有名だが、これらの国では高校卒業の時に卒業試験がある様だが、入学試験は存在しないし、デンマークでは私学と言うものも存在しないようだ。
しかし、試験が無いからと言ってこれらの国の学力が低いかと言えば、ペーパーテストで良い成績を取るだけが勉強の目的である日本より高いのも有名だし、デンマークは人口比率当たりのノーベル賞受賞も多ければ、起業率も高いとラジオで話をしていた。
確かに学ぶことは多のかもしれないと思いながら、偶然、今日の昼にNHKオンデマンドで、先日見た『NHKスペシャル 明治』の続き、『 第1集 ゆとりか、学力か』を見ると、何の事は無い、既に明治時代にそういう教育システムを唱えていた人が居たのを知った。
それが、タイトルの「澤柳政太郎」で、成城学園(成城小学校)の創立者だったようだ。
成城小学校では、それまでの一斉授業から「学ぶ」と言う事を重視した様々な工夫をしていた様だ。
実は、澤柳は文部省の役人出身で、文部省時代に現在の小学校の無償化などを進めて就学率を高め、言うところの「ゆとり教育」を取リ入れた人だった。
明治時代と言うのは福沢諭吉の「学問のススメ」でも有名な様に、それまでの身分制度が廃止となった一方で「立身出世」の手段としての学問が極端に重視される様になった時代だった。
澤柳自身は、非常に優秀な人で、その様な明治時代のいわゆるエリートだが、明治政府でも、優秀な人材を徴用する為、小学校から口述試験があり、進級も全て試験で決まる試験第一主義で、勉強の目的は将来、高級官僚になる為の手段であった。
その様な厳しい受験競争の経験と、「学問が立身出世の道であり、その為には試験を勝ち抜い行く。」と言う状態を憂いて、小学校の低学年から試験に明け暮れる事を変えようとした様だ。
しかし、小学校の進学率が高まると言う事は、結果、中学校への進学率が上がり、又、そこで競争が激化し、現場の中では反対も多く、特に、当時、軍国主義へと進んでいた軍などでは「新兵の学力が低下している」と批判が多く、結果、野に下り、私学を興したと言う事だ。
成城小学校の授業は、当時かなりのブームとなった様だが、受験第一主義は一向に変わること無く第二次大戦へ進んで行き、戦後、GHQが日本の教育制度の調査を行わせたアメリカ教育使節団の1946年の報告書が興味深い
『日本の教育制度は超国家主義や軍国主義がなかったとしても当然改革されなければならなかった
このことは試験第一主義改めることを意味する
受験準備に支配された教育制度は形式的で紋切り型になるものである
それは教師と生徒を大勢順応主義に陥らせ批判的判断の自由を奪ってしまう
そして全体としての利益よりも狭い官僚社会の利益に迎合する当局者の操縦に容易に身を任せることになる』
終戦後の調査で、日本の教育に関する問題は明らかになっている様だが、それにしては、この状況は戦後も一向に変わることが無かったのは良く分からない。
これは過去の調査をした報告書だが、「官僚社会」を「大企業」、「当局」を「マスコミ」に置き換えると、将来(現在)の日本人の様子を書いている様に思える。
今、お手本にする国は多くあるし、日本でも遥か明治の頃に、現在の北欧諸国の教育システムを考えていた人が居て、GHQの調査でも指摘され、何度も気がつく切っ掛けはあったのに何故そうならなかったのか?
結局、「分からなかったわけでは無く、やらなかった」と言う事であり、そういう点では、東電の原発事故の原因と同様だ。
「何故やらなかったのか」その理由を考え、そこを改革しなければ教育制度だけを変えても意味が無い気がするがどうだろうか。