セシウム混入問題を考える  | iPhone De Blog

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2009年12月7日からスタート
iPhone3GSからiPhoneユーザのLEONがiPhoneやAndroidなどを中心にしたデジタル系ガジェット、IT関連ネタ、趣味のコントラバスやチェロを中心としたクラシックネタ、2022年から始めた自家焙煎に関する話や日常の話まで幅広く書いてます。

どうも最近の放射能汚染報道、おかしくないか?

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放射能に関する話を聞きかじった様な素人が、怪しげな検出器であちこちの放射線量を測っている。


この話も発端は、市民団体か何かが食品関係の測定をして基準値以上の放射性物質が検出されたと騒ぎたてた様だ。


先日は福島県産の米で騒ぎがあった。恐らく、これも同様だろう。

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僕は原子力も放射性物質に関する知識も全くない。

何がどう危険なのかも分からないが、少なくとも、この連中が騒いでいる、お役人が言ってる「基準値」なんてアテにならないと思っている。


何故なら、この様な放射性物質の影響なんてデータ不足で、正直誰もハッキリ分からないからだ。
もし分かる学者が居れば手を挙げてくれ欲しいが誰も挙げないだろう。

現に日本人が体験しているのは数十年も前の被爆体験でこれは人類史上貴重な体験だが、それとて今回の原発事故とは状況が違い、近代のチェルノブイリ事故やスリーマイルの事故などとも状況が異なり、明らかに放射線とその影響に対する因果関係を立証するだけのデータが不足しているのだけはわかる。


学者がそんな状態で、明確な回答をすることはあり得ない筈で、単に「確率が高くなる」「可能性がある」と言うだけで、それも定量的に言っている訳でもない。


今現在「基準値」と言われている数値も、建築や機械関係の応力に関する項目に「安全率」と言う言葉があるが、これと似たような性質のもので、通常は相当の倍率を掛けてある筈だ。

それを「基準値をどれだけ上まった」とか、「基準値」がハッキリしないとか、元々良く分からない値を基準に大騒ぎをしている。


放射能汚染は、危険性に関する臨床試験が出来ない。データが得られない。誰も正確な情報を知らない。と言うのが最も怖い点だと僕は思っているし、
悪いが、撒き散らされたもんは今更もうどうしょうもない。


幾ら騒いでも、現実問題全量回収などできないだろうし、仮に回収しても処分もできないだろう。

除染と言って除去した土やら瓦礫やらを持ち込むのに歓迎する自治体なんてある筈がないし、現に、瓦礫にしても受け入れを表明した途端に、地元住民が匿名でクレームのメールやら電話が入り、中止になる。


結局、そんなに心配ならその場所から離れるしか無いのだ。


現に、東京地裁などは、放射性物質は東電のもでもない。「無主物」だと言う判断をしている。


「無主物」だから、それを除染する義務は東電には無いと言う馬鹿な判断をしている。


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話の対象がゴルフ場だとしても、この判断は酷過ぎる。

本当に法律なんて杓子定規に考えるものだが、こんな馬鹿な判断をしていると言う事実を僕は全く知らなかったし、マスコミも殆ど騒いでいない。

天下の朝日新聞ですら、コラム欄で取り上げたり、精々週刊誌ネタになっているだけだ。

こんなふざけた話を正面から全く取り上げないのに、どこそこでどれだけ放射性物質が発見されたと言う話が出れば、震災の時と同じですっ飛んで行って、地域住民に分かりきった質問をする。


その結果、混入していたと言われている農家やメーカーが謝罪したり無償交換したりしている。


まるで、農家やメーカーが自身で毒薬でも混入したような取り上げ方だが、忘れてはいけないのは、ここで謝るのは農家やメーカーでは無いと言うことだ。


それでも、こういう報道が流されると何となくその責任の所在を忘れて、何で検査しなかったんだ?と言う方向へ話が行ってしまうし、2chなどのアホどもも調子に乗って騒ぎ立て、挙句の果てに福島産の米は全部受け入れ拒否となる。

それで問題は解決するのか?


この様な目先の事象だけが取り上げられて話をすり替えているのは、明らかな商業マスコミの世論操作としか言えない。


最終的には明確な基準を出せない政府が悪い。と言う方向へでも持っていきたいのだろうか。

別にどじょう内閣や民主党を擁護するつもりはサラサラ無いが、後ろで「あ~俺たちが政権与党じゃなくて良かった~」と笑っている自民党の顔が見え隠れするのが腹が立つ。

本来なら、この様な事になったそもそもの原因を真面目に追求すれば、税金を使い放題使って原発で甘い汁を吸ってきた当時の与党自民党の政治家、巨額の利益をあげて来た東電その他の電力会社、周辺企業の責任が明らかになる筈で、それでは、今後どう様な方向へ行ったら良いのかと言う事も見えてくる筈なのに、一向に建設的な方向へ商業マスコミはいかない。


結果として、怪しげな中国製のガイガーカウンターを個人で入手してあちこち調べて騒ぎ立てる連中が出てきて、又、それを朝のワイド番組などで取り上げる。と言う事を繰り返している。

放射性物質の影響が無くなるまで相当な時間がかかるのにその間、ずっとこれで騒ぐつもりだろうか?


もし、食品の危険性を考えるなら、微量に混入した放射性物質よりも、食品添加物や保存料、農薬の方が余程危険だと思うのに、これに関しては一向に騒がれないので皆知ってか知らずか食べているが、僕は余程の生活をしない限り安全な食品のみで食生活を維持することは出来ない。と思っているので、別に何の心配もしていないし、何がどれだけ入ってるのかも全く気にしない。


もちろん、これ以外にも交通事故で死ぬかもしれない、過労死や不況による自殺など数えきれない程生命の危険はあるが、これは現代に生きている人間の宿命でしか無いと思っている。


江戸時代くらいまで戻れば、食品も天然の物で安全だったろうし、放射能も交通事故も無かったろうが、医療技術が進歩していなかったので風邪くらいで簡単に死んでいたのでその時代が良かったとも限らない。


人間の一生なんて精々長くて100年。一般的には70~80年だろうか。その程度の長さは、人類の長い歴史からすれば一瞬だ。

この2011年に生きている人は震災に遭って不幸だったかもしれないが、数十年も前なら、自然災害では無く、人災とも言える戦争で多くの人が亡くなっている。どっちが不幸だったかと言えば僕は戦争の方が余程不幸だと思う。

一人の人間一生の中でも禍福がある様に、歴史の中でも禍福がある。


短い人生なんだから目の前の状況や情報に振り回される事無く、その時代を自分がどう生きるべきかを考えればこんな事に対して騒ぎ立てる事も無いし騒ぐ方向が違うと思うが、「木を見て森を見ない」人が多い。


これは、70年前の明日12月8日に「真珠湾攻撃」で開戦したと思われている太平洋戦争だが、実はインドネシアの資源地帯の占領を狙った「マレー作戦」で「真珠湾攻撃」より1時間ほど早く、イギリス領マレーおよびシンガポールへの進攻していて、「真珠湾攻撃」はアメリカ軍の妨害を防ぐために行われた作戦であり、アジアの侵略が本来の目的だった。と言う事実すら、現在でも殆ど知られていない事にも象徴されている。

情報統制が厳しく行われていた当時なら仕方ないが、現代は様々な情報を自由に手に入れられる時代だ。

未来の日本人が歴史を振り返った時に、今回の震災に対して当時の日本人は何をしてたんだ?と思われないようにしたいものだ。

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今日12月7日は僕のブログの2周年です。


ちなみに、この12月7日は僕の大好きなブログ友達さんの誕生日でもあり、偶然の一致に喜んでいます。


何だか2周年にしてはカタイ話になりましたが、元々はそんな話を書くつもりではなく、iPhone3GSを買ったことを切っ掛けにして気軽に始めたブログですが、あっという間に2年経ちました。


この記事でもそうですが、日記代わりに毎回言いたい放題書いているだけなのに大勢の皆さんに訪ねていただき、最近の1ヶ月でも21,732PV、音楽やインターネットジャンルでも比較的高い順位で感謝しています。


このブログでは、時折、世の中のニュースを取り上げる場合もありますが、僕の場合は「情報を正確に伝える事」が主眼では無く、「この話を聞いて自分はどう思うのか」を主眼に書いていますので、場合によっては情報が正確に伝えられていなかったり情報不足の場合もありますのでご容赦下さい。


しかし、大切なのは「自分はこう言う事に対してこう思う」と言う事を表明する事だと思っています。


僕自身、ブログを書くようになって、色々な物事に対して「自分はどう考えるのか?」と言う事を大切にするようになりましたし、ここで書くことで整理が出来るようになりました。


又、日々の日記代わりとしても非常に重宝していて、去年、確かあそこへ行ったはずだったけど。。と言う覚書としても便利です。

何より、ブログを通じて沢山の方と知り合いになれた事は良い財産となりました。


幸い、僕は日々綴ることができていますが、多忙な方もいらっしゃいます。

只、
毎日では無くとも良いので、口に出さなくとも、自分の思うことや綴りたいことを綴る事はこの時代に大切だと思いますし、そこでは誰に対する遠慮も必要ありません。

世の中「Facebook」と言う形で、個人を特定するSNSがありますが、僕は良い意味での匿名性と言うのもアリだと思っていますし、だからこそ書ける事もあります。


そう言う、皆さんの本音や日々が書かれたブログを僕も毎日楽しみにして、この2年間、ブログを書かない日はあっても読まない日は無かったと思います。

これからも皆さんと一緒に歩いて行きたいと思っていますので宜しくお願いします。