福岡市・福島ショップ開店断念と言う記事を考える | iPhone De Blog

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今朝の朝刊の記事)

今朝の朝刊にこんな記事が載っていた。


photo:01


これは新聞のサイトでも読めるので紹介しておく

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/262591

休日の朝から気分の悪いニュースだった。

要するに、福岡市で開店準備中だった福島の応援ショップが匿名の中傷メールで中止に追い込まれたと言う事だ。

匿名かどうかは記事には書いてないが、これだけの事を書く人間が自分の素性を書いてるとは思えない。



この記事は、国の説明が悪かったり、安全基準が曖昧と言うような小見出しをつけているが、それは記者が問題の核心をつけてない気がする。

僕がこの記事で感じた気分の悪さはそれでは無い。

僕も原子力の専門家では無いし、福島産の物がどうのと言う事は言えない。

もちろん、これだけいい加減な情報が交錯して、当の東京電力からの情報も信用出来ないのなら、国の基準だってあてにならない。

しかし、仮に何かあったとしても、言っちゃ悪いがこのくらいの規模の店の商品を全部購入するならともかく、支援と言う程度で購入して人体に影響があるなんてあり得ないだろう。と思っている。


そういう意味で、僕は全く気にしていないし、何かあれば協力したいと思っているが、世の中色んな人間がいる。微々たる量でも神経質に気にしてる人もいるだろう。

まあ、そんなに気になるなら買わなければ良い。と言うそれだけの話しなのに、顔が見えないことを良い事に、匿名メールって方法でこんな事を言ってくる人間がいる。


買う買わないは個人の自由だが、店へ「不買運動をする」などと言う営業妨害と言えるメール送ると言うのは、これは「エゴ」の域を超えている。

僕の朝の不愉快さの中心はここにあったのだが、もし本気でそう思ってるんなら、自分の考えを書いたビラでも作って、店の前で撒けば良い。

しかし、この手の連中はそんなことはしないし、普段は、何も言わずに黙ってその辺を歩いて「庶民」の顔をしている。


実は何処にでもいる)

この、隠れてコソコソとやる庶民と言うのは、実は何処にでもいる。

例えば、このブログでも、僕もだが、自分の社会に対する考えを書いてる人も多い。

中には共感出来る人もいるし、「何を言ってんだか」と思える人もいれば、言ってる意味さへ分からない人も居る。僕のブログを読んで、そう思っている人もいるかもしれない。

僕が良くコメントを入れているブロガーさんへ、とても日本語とは思えないような、文章になっていないコメントを入れてる人間がいる。本人のブログも覗いてみたが、これ又意味が分からない。

しかし、特に誹謗中傷しているわけでは無さそうなので僕も傍観しているが、本人にすればわかって書いているのだろう(笑)


そういうのは、何だかなぁと言う程度だが、中には直接メールなどで誹謗中傷する人間も居る様で、随分前に、僕が親しくしていたブロガーさんは、言われの無い、酷い嫌がらせを受けて退会してしまった。


そこまで酷くなくても、その人の考えがどうなのかと言う評価はともかく、たまに、ペタ経由で、色々な人のブログをサーフィンしてると、高々100文字前後のコメントの範囲で子どもの落書きの様なコメントを書いてるのも見かける。

しかし、その本人は自分のブログで何か意見を書いているのかと言うと何も書いてなかったりする。


人が書いたことを読んで、後からあれこれ書くのは簡単だ。
評論家には簡単になれるが選手には簡単になれないのと同じだ。


僕の場合は、相手の考えや意見を非難する前に、自分の考えを述べるべきではないだろうか?と思っているので、コメントでも、賛同出来る人にしか書かない。

仮にどうしても違う考えを述べたいなら、自分のブログで書くし、別に相手に伝わるかどうかは関係ない。

このような考えは、もう古い時代にボルテールが「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」という形の名言で残している通り、意見には意見で戦うべきだろう。

どうも、世の中、教育の平均レベルは上がっているのに、民主主義を単なるエゴのぶつかり合いにしてしまってる人間が多すぎる。


それを助長しているのが、この「匿名」で何でも言える環境だろう。

アメブロなど、一般のブログではこの匿名の良さを活かして、自由に発言する事で、読む側が、様々な意見や情報を逆に自分の中に取り入れると言う良い点もあると思っている。

僕も他の人のブログを読んで教えられることや考えさせられる事も多いし、そんな店があったのか!と言う様な実際のお役立ち情報も含めて大切な情報源になりつつある。

これはFacebookなどの発信源が匿名で無いと言う場合、有名人やショップの様に、情報を発信する事は半ばビジネスの様なユーザーなら良いが、一般の個人の場合は迂闊な事を書くと、あの人があんな事を書いていた。となってしまうので、実際、何でも書けると言う話では無さそうだ。

アメブロでも実名でブログを書いている人は、半ば公式サイトの様な形になっていて、恐らく発言にも相当責任を持って書いている筈だ。

匿名の場合は、自由に書けるが、他の人の自由も尊重すると言う一定のお約束の中で、僕もそうだが、自分の考えを書けると言うのはブログの楽しさでもあると思っている。

話がそれたが、それたついでに、電話でも最近、迷惑電話と言うのがあって、非通知ならともかく、通知はしているが、何処かから掛けているのか特定されない様な、0120や0800、IP電話の050などで電話を掛けてくる連中がいる。

まあ、この辺は商売でやってるので悪質だが、掛けてる連中もひとりひとり見れば普段は庶民の顔して歩いてるニーちゃんやオッサンだろう。


こっちが頼みもしないのに電話を掛けた上、本名かどうか分からない様な名前で会社名も語らずに、人の貴重な時間を取る。

こんな方法で営業の電話を掛けてくるような会社がまともな会社であるはずが無いのに、図々しく電話してくるのも匿名性が高いから出来る事だ。

挙句に、対応が悪いと(だいたい僕は対応が悪いが)、
「ワン切り」とか「無言電話」とか中学生の様な仕返しをされる(笑)


この辺りになると、もう、営業では無くハッキリ嫌がらせだ。

車の運転で人が変わると言うが、これも車の匿名性がもたらすものだろう。

マナーの悪い運転をすると思って運転席を見ると上品そうな紳士・淑女だったりする。

現代に民主主義は生きられるのか?)


話を戻すが、この様に世の中には「匿名」の名のもとで民主主義を履き違えた「庶民」があちこちに潜んでいる。

逆に、これだけ情報を伝える手段が発達すると、昔なら、「これは誰それの考えだ。」と言う、思想や意見と発信者は一体だったものが、発信した結果だけがひとり歩きする可能性もある。

ボルテールは、意見そのものでは無く「だがあなたがそれを主張する権利」を守ると言っている。

しかし、人の手を離れた意見そのものは既に個人に帰結しない。

ある意味、ここで書いている事も、僕という実在の個人に帰結するものではない。

只、これはブログだけでは無く、「マスコミ」と言う実態の無い存在が主張する意見も同様だろう。

テレビや新聞、その他の媒体で日々流布される情報は膨大だが、これも殆どは実態の無い匿名と言えるし、現代では、昔の様に人が顔を付き合わせて意見を戦わせるような民主主義と言うものは無くなったのかもしれない。

現に、国会の場でも、役人が書いた、通り一遍のカンペを読んでるだけの様な大臣や議員はゴロゴロいる。

誰が言ったのかわからないような考えに惑わされずに、自分の考えを持つと言うのは中々難しい事だが、現代では必須の能力なのかもしれない。

ひとり歩きしても恥ずかしくない考えを持っている事は重要だ。

僕も時折、この様に折に触れて、長々と自分の考えを書いているが(なので、そう言う場合のタイトルは大抵は「○○を考える」となっている)、特に誰に伝える為では無く、自分の考えを整理するためと言っても良いので、こんな最後まで読んで頂いた方がいらっしゃるなら感謝する。

最後に、この件に関して残念なのは、先のいわれの無い無責任なメールで開店中止になった事だ。

そんな事で中止にする程度の意図しか無かったのなら仕方ないが、自分達の考えに自信があるのなら何故開店しなかったのだろう。

当の無責任な意見を発信する人間、問題の核心をつけていない記者、それで開店中止とした業者。

僕には何れにも釈然としない感じで、気分が悪い印象となったし、現代を象徴していると言う気がした。