昨日のコンサートはすごかった。
H君の演奏は想像はしていたが、予想を遥かに超えていた。
何がすごかったかって、大学生からこの楽器に親しんで数十年、初めてアマチュアで良かったと思ったほどだ。
コントラバスの場合、楽器が大きいためスタートラインに比較的差がない。
僕ら前後の世代だと、プロでも楽器を始めた年齢はそれ程差がないので、他のプロの奏者を見ても「あ~俺も同じくらいの年齢で音大行ってそればっかりやってりゃそのくらいは弾けそうだな。」と言う印象が殆どだった。
まあ、練習で何とかんなるものならそれ程すごいと言う印象は無いのだが、昨日のH君はあきらかに違った。
プロのコントラバス奏者の父親を持ち、10歳から故奥田さんはじめ有名奏者のレッスンを受けながら芸大へ進み、その後、ドイツへ留学し、そのままドイツのオーケストラへ入り現在に至っているこの世界のサラブレッドだ。
もう、何がすごいって、指が回るとか右手が上手いと言う次元ではない。とにかく耳が素晴らしい。
コントラバスの耳と言って良いのかわからないが、小さい頃からそれ専門で演奏して育った耳のイントネーションが素晴らしく良いのだ。
無造作にとった音程がもう完璧にハマっているし、音を取っていると言うのでは無いのだ。
まるで歌うように楽器を弾いている。
勿論、持って生まれた長身や腕の長さも含めて、彼はこの楽器を演奏するために生まれてきたと言っても良いだろう。
又、練習がどうのと言う次元では無いのに、演奏している様子をみていると、相当練習している筈なのに、全くその様に感じさせない。恐らく、そのくらいしっかり練習もしてるんだろう。
もちろん、相方のチェロのY君は既に20代前半の若さでソリストの風格を持ち、若い頃から頭角をあらわしているチェリストだ。
昨日初めて彼の音を聞いたが、ぶっとんだ。
彼も既に楽器は自分と一体になっている様で、楽器を演奏しているのではなく歌うように弾いている。
原曲がコントラバスの為に書いてあるデュの曲などは、進むに連れて楽譜をどんどん自分でアレンジして変えていきながら全く違う曲にしてしまっていた。
チェロで弾くとここまで出来るのかと驚嘆しつつ「おいおい、そんな曲じゃないだろう」と思いながらどんな展開になるのかを楽しんでいた。
ヴァイオリンやピアノでは、小さい頃から始めなければ音楽の世界では生きていけないと言うのは既に常識の様になっているが、低弦の世界、特にコントラバスの世界でも、ついにそう言う時代になったのかと感慨深い物があった。
知り合いの芸大のコントラバスの学生も聴きに来ていたが、非常に驚いたようで「一体僕は何をすればいいんでしょう?」と真面目に、これも聴きに来ていた彼の地元の先生であり、僕の元師匠に尋ねていたが「取り敢えず練習しやい」と言われていた。
H君もまだ20代だろう。
彼とそれ程差がない年齢で、音大に通ってる学生と言う点では、非常に可哀想に思えた。
もし、僕がプロだったら、あまりの違いに一晩やけ酒を飲んでただろう。
音楽の世界に限らず、ゴルフの石川遼でもそうだが、スタートラインが違うと言う事で圧倒的に差がつく世界は多い。
まあ、そういう意味で「あ~俺はアマチュアで良かった」と思ったわけだ。
良く、子どもをプロ◯◯選手とか◯◯家にしたがる親が多いが、世の中、とんでもない人間が沢山いる。
死ぬほど努力をして、そういう人間に出逢った時の挫折感を敢えて与えたいのならともかく、そのものを楽しむと言う世界もありだろう。
昨日のコンサートは普段と違って、そういう事を色々考えさせるコンサートだった。