首相交代を考える | iPhone De Blog

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今朝の西日本新聞の朝刊の記事に面白い話が載っていたので少々長いが、引用して紹介したい。

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以下、2011年7月25日付西日本新聞より


菅直人首相の退陣時期をめぐる永田町の喧騒が続く。


「回転ドア」とやゆされる頻繁な首相交代は、世界における日本の地位にどう影響し、日本政治の問題点はどこにあるのか。


米中央情報局(CIA)の元分析官で、現在は米保守系シンクタンク「ヘリテージ財団」の北東アジア担当上級研究員ブルース・クリングナー氏(51)と考えた。(ワシントン宮崎昌治)


安倍晋三首相が2007年9月に退陣して以降、菅首相が9月までに退陣すれば、4年で5人目の首相選びとなる異常事態だ。


「頻繁な首相交代は世界における日本の影響力をそぎ、日本は自ら、中堅国家へと押し下げようとしている。


中国が軍事的にも経済的にも台頭し、これに対抗するため米国も日本の強いリーダーシップを必要としている時、日本の指導力欠如は米国にとってもマイナス。


厄介で、フラストレーションがたまり、いら立つ事態だ。」


オバマ大統領も下院で過半数を握る野党・共和党との激しい対決が続く。

政治に政争はつきものだが日米の違いはどこにあるのか。


「もちろん、議院内閣制と大統領制という制度の違いはある。


米国の大統領は、違法行為が発覚して辞職する以外、どんなに支持率が低くても4年の任期を全うする。

(内閣総辞職や衆院解散がある)日本で、首相交代の頻度が高くなるのは仕方がない。

しかし、それは形式的な理由だ」


「より重要なのは、実質的な理由だ。


日本では首相の支持率が20%を切ると、政治家も、メディアも『首相交代』の話でもちきりになる。


だれだれ首相が辞めた時は支持率はX%だった、と過去の例が引用され、次第に国民の間でも『首相辞任』が当然視されてゆく。


日本の政治家、メディア、国民に深く染み込んだ慣習だと思う。


船が沈もうとしている時、船長が『私は人気がないから辞める』と言ってるようなものだ」


確かに、日本の政治報道は政局が中心だ。

政治家も東日本大震災という戦後最大の危機に直面しながら内閣不信任案を出した。

菅首相の「脱原発」方針には閣内からさえ「独断だ」と異論が出る。


「反対や抵抗があり、不人気でも、自ら正しいと信じる政策の実現を目指す。


米国では、大統領のこうした行動には多くの尊敬が向けられる。


大統領も積極的に公に向けて語り、民衆の支持を政治的エネルギーにする。


一方、日本はコンセンサス(合意)社会だ。


サッチャー英元首相は『コンセンサスとはリーダーシップの欠如のことだ』と言った。


危機に直面した時こそ政治のリーダーシップが求められるが、合意の下でしか実行できなければ、だれもがほどほど満足する程度の、あまり意味のないことしか達成できない」


だれが次の首相になっても、足の引っ張り合いでまた1年で交代するかもしれない。


「次の顔触れをみても、どんぐりの背比べだ。

小泉元首相型のリーダーシップが発揮できそうな政治家は、民主党にも自民党にも見当たらない。

だが、頻繁な首相交代と合意重視の政治的カルチャーが、中国がアジアで積極的役割を果たそうとしている時、日本の影を薄くしていることを知るべきだ。

日本は世界への影響力だけでなく、アジア諸国とのつながりでも危機に直面している」


引用終わり


以上だが、僕はここで、首相交代をした方が良い等の話をしたいわけでは無い。


果たして、クリングナー氏がいう小泉元首相のリーダーシップが良い方向へ行ったかと言えば、僕はノーとしか言えない。

寧ろ、この声の大きな政治家に誰も反旗を翻せなかった周辺の政治家が情けないとし言いようがない。


又、このクリングナー氏に関して言えば、以前の米軍基地関連の発言を読んでも、日本をアメリカの対中国戦略的な位置づけでしか考えてないので、最後の意見は誰の為の話なのかというのが気になる。

中国が軍事的にも経済的にも台頭し、これに対抗するため米国も日本の強いリーダーシップを必要としている時、日本の指導力欠如は米国にとってもマイナス。』という部分は本音だろう。


しかし、政局の混乱に対して言っている内容は結構的を得ていると思うし、この点に関しては僕も同じ考えだ。

『合意の下でしか実行できない』=「人の顔色をうかがう」というのは慣習というよりも民族性と言っても良いくらいで、どうも、本家のアメリカの民主主義というのが、戦後、妙な方向で輸入されてしまって、当のアメリカも苦笑いしてるのがわかる。


歴史を振り返っても、戦前の日本に関して言えば、「オカミ」の力は強大で有無を言わさなかったし、戦後しばらくまではデモや暴動もあったのだが、そういう行為は愚かな行為で、皆で話合って解決しようという様に変わり、自分の意見を行動で現す事すら無くなった。

まあ、逆に言えば、だからこそ、現代では、それ程の動乱や暴動も起きない為、日本人は多数決じゃなければ何も出来ないので、あそこの国の通貨を買っておけば取り敢えず安心だ。という「リスク回避通貨」扱いされて、円高となっているのだろう。


別に暴動を起こせとかデモをやれと言ってるわけではないのだが、少なくとも人の意見を聞く前に自分の意見を持つ事は大切だと思っているし、これは事、政治だけの問題では無く、仕事の上でも重要だろう。

今日、ブログ友達のMs.Violinistさんのブログで、『あなたは、ブログに「想い」をどう託していますか?』という問いかけがあったが、僕にとってのブログはこうして自分の考えや経験をまとめて発言する場でもあり、様々な人たちの考えや経験を知る大切な場所だと考えている。


先日の旧友がツイッターが面白いと言っていたが、ツイッターに関して言えば、情報伝達の速さは認める。


しかし、発言内容に関して言えば字数制限から言っても、正直、無責任な落書きレベルとしか僕は捉えてない。


ある意味、いち早く、他人の顔色をうかがう事が出来るという点では非常に日本人的なツールかもしれない。

何処かの携帯会社の社長が良く口を滑らせて炎上する様だが、そういう意味で、僕のテリトリーにツイッターは無いし、怪しい情報を受け取る機会を減らす為にも、それこそ、皆がやってるからと言ってやってない典型だろう。

ついでに言えば、発言の主が誰かハッキリしているという点では、Faceブックも非常に日本的だろう。

特に日本人の場合は、友人・知人の中でしか繋がらない度合いが強いらしいが、確かに知り合い同士なら安心なのかもしれないが、その中で、何か人と違う自分の意見を発言するという事は出来るのだろうか?

寧ろ、この様な匿名のブログの方がよほど言いたいことも言えるのでは無いだろうか?

僕にとってみれば、誰が発言するかというよりも何を発言するかという方が興味があり、へそ曲がりかもしれないが、
僕には僕の考えがある。