最近、演奏の奏法に関してブレークスルーがあった
日本語で言えば「現状突破」だが、人の成長曲線はリニアに一本調子で成長していく事は殆ど無く、階段状に上がって行く。
僕は趣味で音楽をやっているが、数年前に奏法を大きく変えてから、弓先のコントロールと音量を上げることをずっと考えて色々試行錯誤していたが、自分の中で答えが見つからなかった。
ところが、ここ1ヶ月の間に、何人かの1流奏者のアドバイスや色々な質問をしてやりとりしている方のアドバイスが一つにまとまって、ある答えが見つかった。
まあ、別の言葉で言えば「Eureka」(ユリイカ)=「見つけた!」とも言うだろうが、弓のコントロール全般含めて答えを見つけた気がした。
これは別に音楽に限らずスポーツなど様々な世界でもあるだろう。
スポーツだと「打撃に開眼した」と言う表現もある様に、やはり長らく続けてきた答えと言うのは、意外に、眼を開く様に一瞬で見える物だろう。
僕の場合、プログラミングやシステムエンジニアリングと言う仕事の中でも良くそれを体験する。
特に、難しい物と言うのは、仕事を離れていても何とは無しに考えているもので、ある時「あ、こうすれば良いやん!」と言う感じで閃く。
良く言われるが、それは仕事の時間では無く、寝ている時や風呂に入ってる時、移動中の地下鉄や車の中だったりするし、ネットサーフィンをしてて、ヒントになる話題を読んだりした時と様々だが、現状で考えて答えが出ない時は、幾ら時間を掛けても解決しない事の方が多い。
だからと言う訳では無いが(笑)、僕は残業や徹夜の類は一切しない。
若い頃はやった事もあったが、振り返ると、徹夜のボケた頭で考えても全く見つからなかったバグが一晩寝て翌朝見たら一瞬で分かった。と言う経験や最後のツメでドジってファイルを保存し損ねたりと言う具合で、徹夜して良かった記憶が全く無い。
人間の頭も集中力も限界がある。
それを越えて何かをしても身体を休めて行う事より効果があるとは考えられないし、寧ろ、そう言う状況の場合、一つのミスで、それまでの時間を無駄にしてしまう失敗を発生させやすい。
ミスを犯さない為にも休息は必要だ。
ところが「試験」に関しては、又、明日と言うのは許されない。
時間内に問題を解けなければアウトだ。
分からなければ、相手はマークシートなのだから最後は鉛筆でも転がして決めるしか無い。
そこで生まれるのが「カンニング」だ。
これは別に今に始まった事では無く、古来に試験と言う物が生まれたと同時にカンニングも生まれたと言って良いだろう。
昔なら手作りのカンニングメモを含めてあの手この手を使ったりしていたし、カンニングをテーマにした映画も幾つかあったと思うが、いずれも、それだけの努力をするなら勉強しろと言う事が多かった(笑)
しかし、最近は携帯と言う文明の利器とツイッターやQ&Aサイトと言う便利な物を使う事で、お手軽にカンニング出来るようになった。
それも、天下の京都大学を受験する様な学生なんだから驚く。
自分で手間暇も掛けず人に聞くと言うのが、なおさら情けない。
このお手軽な感覚は、僕はゲームに通じる物を感じる。
僕の子どももPSPやDSをやっているが、この手のゲームには必ず「攻略本」なる物がある。
これを読む事で、ゲームプログラマーのバグを利用した裏ワザや仕掛けを簡単に知って、短時間に人より先へ進めると言う物だが、ゲーム自体がゲームプログラマーの手の上で遊んでるに過ぎないのに、それこそ何が楽しいんだろうと思ってしまう。
確かにゲームにはタイムアウトやライフポイントと言った時間の制限や回数の制限がある。
その制限内で先へ行けなければアウトで、試験と同じだ。
そう言う意味で僕がゲームが嫌いなのは試験が嫌いなのと同じ理由かもしれない(笑)
結局、攻略本を使うというのは試験のカンニングと大差無い訳で、このお手軽な感覚がゲームと通じると感じる訳だ。
しかし、ゲームの世界では攻略本を使って遊べても現実世界でカンニングは許されない。
携帯からの投稿と言うが、恐らくiPhoneやAndroidなどのスマホが関わってる気がする。
基本的にタッチパネルはキーの打鍵音がしないし、例えばペンタイプの物を使って入力すれば、遠くから見ると何か書いてるとしか思わないだろう。
ちなみにこれは手製のスタイラスだが、アルミを巻いて先にスポンジをつけた物だ。
確かに原理はこれでOKだ。
こ言う物を鉛筆の先へ加工して作れば見分けが付かないだろう。
Jailbreakやroot権を奪取すればシャッター音を消すのも簡単で、問題ごと写真に撮ることも可能だ。
京大を受験するくらいなら、残念ながらそう言う方向は幾らでも知識はあるだろう。
現代のIT警察がどの程度優秀か分からないが、果たして犯人は捕まえられるのかともかくとして、もし逃れられても、寧ろ、カンニングしても何とかなるのは試験くらいの物で、現実社会はそんな物が役に立たない状況の方がはるかに多い。
京大を受験するレベルでもそんな事が分からないのだから、ゲーム風に言えば、如何に受験勉強と言うのは社会を生きて行く為のアイテムとして役に立たないか分かる。
幾らカンニングして大学へ入って社会へ出ても、そう言う状況で真価を発揮出来なければ職業人としては役に立たない。
営業なら手強いクライアント、教師ならモンスターペアレントと遭遇して、何度やってもライフポイントを失って、そのうち自分の命まで失うかもしれない。
最近、マニュアル人間が多くなったのも、膨大なマニュアルを記憶出来ても、自分の頭で考えられない人間が、難しい試験を攻略して社会へ沢山排出されているからだろう。
世の中ゲームの様にプログラマーの筋書きの上で動いている訳では無いのだ。
先の事は「誰も知らない」のでは無く「誰も分からない」のだ。
そこには攻略本も何も無い。
もうそろそろ、合格発表が始まり、新しく学校へ入る若者が増えるが、そこでは受験勉強で見つけられなかった物を発見して欲しいものだ。