人が死にたいと思う理由は色々あるだろう。
若ければ、イジメ等による理由もあるが、ある程度の年齢の場合、一番は生活困窮では無いだろうか。
明日生きて行ける見通しが立たなかったら死にたくなるのも当然だろう。
僕は経済学者でも社会学者でも無いので勝手に断言するが、下のグラフを見て欲しい。
これは90年代後半から10年間の派遣労働者の推移だが、レンジが違うので分りにくいが、この傾斜と上の自殺者の推移のこの10年間の傾斜は見事に一致してないだろうか?
労働派遣法は1999年と2003年の両年で改悪され(正しく変わってないので改正とは言わない)、無法状態となった。
明日をも知れない契約内容と待遇、低賃金で働かされる人々と、生活困窮で死を選んだ人々の屍の上で派遣会社と大企業は肥え太ったが、それでも尚且つこの不景気は一体どうだ?
企業を大事にすれば国が栄えるなんてまやかしだ。と言うのは、こうして既に証明されているでは無いか。
一方でこう言うニュースも目に付いた
『2011年春闘での経営側の交渉指針を示す日本経団連の「経営労働政策委員会(経労委)報告」の最終案が6日、明らかになった。「定期昇給(定昇)の維持に焦点を当てた賃金交渉を行う企業が大半を占める」として、定昇を容認する考えを示した。』
いつからか多くの企業で「能力給」や「年俸制」等と言う用語が当たり前になり「派遣社員」の存在が当然の様になって来た。
社会の中でも「勝ち組」「負け組」と言うレッテルが色々な場所へ貼られる様になり、大人から子どもまで競争に明け暮れた結果、勝ち抜いた者は多額の報酬を得て、負けた者はその日の暮らしもままならない格差社会が生まれたが、国力としては相対的に下がっていく結果となった。
「一億総中流」と言われた時代は、テレビで話題になる様な成金の「小金待ち」も居なかったが、公園にこれだけのホームレスも居なかった。
真面目に仕事をしていれば、少しづつだが収入も上がり年金もちゃんと貰えてそれなりの一生を過ごす事ができた。
母親は特に働く必要も無く、専業主婦として家に居るのが普通だった。
企業では毎年正社員を一定人数採用する事で、経験者から若年者への技術継承を行い、技術大国へと成長して行った。
しかし、会社でも年功序列制が無くなり、ある程度の年齢になるとリストラでお払い箱となる「姨捨山時代」になると、社会からも年寄りそのものが大切にされなくなった。
今は老後を安心して過ごす見通しさへ無い時代で、高額な維持費の必要な老人ホームへ入れるの極一部の人間だけだ。
企業にも年寄りの姿は少なくなり経験不足の若いエンジニアや派遣社員中心の布陣ではまともな開発も出来ずにアジアの新興国へ置いて行かれている。
若者は大学まで行っても、最終的に、単純に大学のブランドで振るい落とされる程度の就活へ早い段階から駆り出され、採用されなければ人格まで否定された気持ちになりながら死に物狂いで正規雇用先を求める。
今からでも遅くない。
若い世代が安心してその会社で一生頑張って行き、幸せな一生を送れる雇用環境を作るべきだろう。
さもなければ、企業を支える人間も購買する人間も居なくなってしまうだろう。
勿論、我々世代だって、既に今の状況では年金制度は崩壊しつつあり年金はあてにならない。
健康保健にしても高額になる一方で、病院も通えなけりゃ生活もできない老人の自殺が今後も増え、この数字は増える事はあっても減る事は無いだろう。
最後に現在の数字がどれだけ異常か下のグラフを見て貰えば分るだろうが、日本は先進国でもトップクラスの自殺大国だ。
そして、他の自殺率の高い国が75歳以上の高齢者の自殺が多いのに比べて、日本は55歳~64歳の自殺率が最も高い。
今の日本では若い派遣社員が溢れていて、この年齢でリストラをされたら再び就職出来る可能性は無い。
年金が貰える年齢まではまだ先だ。
家のローンもあれば子どもの学費も必要だろう。当然だが、人間1ヶ月でも食べなきゃ餓死してしまう。
クレジットカードでさへ近頃は貧乏人には利用できなくなってしまった。
せめてローンをチャラにする為には死んで生命保険で払うしかない。
つまり企業でお払い箱になったら死ねと言う事だ。
重ねて言うが、人を大切にしない国は滅びる。
政治家は下らん派閥争いをして、与党だ野党だと言っている場合では無い。