一流の奏者が必ずしも良い指導者とは限らないが、良い指導者は出来るだけ自分で考えさせる。
そうなると、究極の指導とは何も教えない事になる。
これを、昔の人は「背中で教える」と言った。
この辺りは、職人や日本芸能の世界ではまだ生きてる様で「芸(技術)は盗むもの」と言われている。
最近のクラシックの先生はそう言う人は少なくなった様だが、一昔前は、やはり相当厳しかった様で、生徒の技量に応じて指導してくれる様な優しい先生等居ないし「俺のやり方についてこれないなら辞めろ」と言う人が殆どだったらしい。
一方、教える方から見ると、人に何かを教えると言うのは非常に難しい。
特に、芸事やスポーツの様に身体を使うものや、職人の様に道具を使うものを言葉で伝えるのは、伝える人のボキャブラリーも影響するので、余計に難しい。
名選手ミスターこと長嶋のバッティング指導で「ビューと来て、バシンと打つ」と言うのがあったらしいが、これを聞いて自分の物に出来る方がすごいと思うし、最終的には、教えられる方が見て盗むしかないと思う。
僕自身、この楽器とは30年以上付き合っていて、これまで両手両足で足りない位の素晴らしい奏者達のレッスンを受ける機会があった。
その多くはマスタークラスなので、自分のレッスン以外にも色々なレベルの人間がレッスンを受けるのを見る事も出来たが、やはり人によって得て不得手、得意な分野もあるんだと思った。
実は今現在の師匠はどちらかと言うと指導そのものは得意ではない(笑)
海外オーケストラの首席奏者でありソロ活動も行っている為、バリバリの現役で、自身も修行中と言う感じで、時々、師匠がマスタークラス等で教えているのを見てると初心者の場合は結構苦労しているみたいで、本人も初心者を教えるのは苦手だと言う。
只、僕にとっては素晴らしい師匠であり、師匠そのものが非常に研究熱心で、その姿勢や練習方法の話しを聞いたり、弾いているのを見てるだけで勉強になる。
一方、僕が初心者の時の師匠は、それこそ音大も苦労して入った人だったので、引き出しも多く、自分のカラーには染めないが基本をきちんと教えてくれる人だった。
その後、その人に習った多くが日本でも1,2の音大へ入ってプロオーケストラ等で活躍しているのを見ると、国内でもトップクラスのレスナーでは無いかと思う。
前回とは矛盾するが、前回は「レイトスタータ」でも初心者の人をイメージしていたので、僕が初心者の時の師匠をイメージしたが、今現在の自分の事を考えると、結局、良い指導者と言うのはその時の自分のレベルや目指す方向にあった指導者だ。とも言えるのかもしれない。
残念ながら、プロの世界(音大生の世界を含む)では一人の指導者へつくと、ほぼ、その柵は「儀礼」としても一生離れないし、大きくは大学の学閥の世界も絡んで簡単には行かない。人によってはバレるとその後レッスンして貰えなくなる場合もある。
又、卒業してプロとなると、そうそう他人にレッスンを受けに行く事も出来なくなるので、音大を卒業してしまうと、意外に世界が狭くなる。
結局、海外等へ出て、それまでと違ったカラーの指導者へ出会い大成する人も多い。
一方「レイトスタータ」であるアマチュアの場合は、趣味で弾いているのであるから、妙な柵も無いし、失礼が無い範囲で誰の指導を受けても良いと思うし「学ぶ」「自分で考える」と言う姿勢さへあれば、別にプロだろうがアマチュアだろうが一流だろうが普通だろうが、違う分野だろうが、どんな人でも先生になり得るし「盗む」物は沢山ある。
只、これれは、あくまで「失礼の無い範囲」である。
アマチュアでも先生は先生であるし、運悪く、他の人のマスタークラスを紹介してくれる様な心の広い指導者に恵まれなかった場合でも、今の自分に合わないと思った場合でも、現代風にドライにさようなら。と言う事では同じ事の繰り返しになるだろうし、初心者の場合はやはりある程度同じ指導者に習った方が良い場合の方が多い。
只、指導者を変えなくとも、弦楽器等は見て覚える要素が強い為、例え、トッププレーヤのレッスンを受ける機会は無くともリサイタルは見る事も出来るだろうし、マスタークラス等の聴講をする事も出来るだろう。
僕は昨年、チェロのピータ・ウィスペルウェイと言う人のマスタークラスを聴講したが非常に勉強になった。
極端な話し、既に亡くなった人でも、今は映像と言う財産があり、尚且つ、インターネットの世界ではYouTubeと言う便利なものがあるので演奏を見る事が出来るし、レッスンの様子を見る事も出来る。
僕もジャクリーヌ・デュプレの演奏を見たり、トルトリエやカザルスのレッスンを見た。
僕は、アマチュアなので、部分的にアドバイスはしても人に教える事は基本的にやらない。
系統だって勉強したいならやはり専門の大学へ行った(専門の勉強した)人に習うべきだと思っている。
只、人間としてみた場合に、一人の親であるので、やはり背中で教えたいと思っている。
僕の師匠もそうだが、結局、自身が真摯に取り組む事が手本となるのと一緒で、自分の生き方そのものが手本となると思っている。
例えば、僕は普段でも台所の片付けや洗濯を乾したり畳んだりしているが、父親が普通にそう言う事をすれば男の子でも、そう言う事をするのが当然になるし、食事の時はテレビを消しているが、それも生まれた時からそうなら疑問を持たずに普通にそうなる。
結局、誰かが手本としたいと思う人が良い先生と言う事になるだろうし、誰かの良い手本になると言う事が、生きると言う価値であり、それが歴史や伝統を作っていくのでは無いだろうか。
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