僕の好きな画家 ~高島野十郎 | iPhone De Blog

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音楽の紹介だけじゃなくて、たまには絵の紹介も。。


今日は、高島 野十郎(たかしま やじゅうろう)



1890年(明治23年)8月6日 - 1975年(昭和50年)9月17日)は、大正~昭和の画家。独学で絵の道に入り、透徹した精神性でひたすら写実を追求。終生家族を持たず、画壇とも一切関わらず隠者のような孤高の人生を送った。本名彌壽(やじゅ)、字は光雄。

以上、Wikipediaより。



高島 野十郎は福岡出身の画家である。


久留米の酒屋の息子に生まれ、明善高校(当時は明善中学)出身で、絵の才能は若い頃からあったものの、美大への進学は父親に許されずに、東京帝大の農学部水産学科へ進みながらも、フランス留学を切欠に絵の道へ進んだ異色の画家だ。


美大へ行って無い為、日本の画壇その他含め、近年まであまり評価されていなかったが、30年程前に、福岡県立美術館の学芸員がこの無名の画家の作品に感銘を受け収集を行い、展覧会を行った事により、有名になった。


その為、県立美術館では、時折、所蔵展もやっており、この秋も、大原美術館展と合わせて開かれていて、僕も見てきた。


帝大時代に描いた魚のスケッチは展覧会では良く飾られるが、非常に描写力が高く芸術作品と言える程のものであるが、彼の若い頃の作品は写真?と思う程の描写力で描かれた静物画が多く、その後、フランスへ渡り、多くの画家の影響を受ける事で作風が随分変わった様だ。


枕元にあった遺稿「ノート」によると「生まれたときから散々に染め込まれた思想や習慣を洗ひ落とせば落とす程写実は深くなる。写実の遂及とは何もかも洗ひ落として生まれる前の裸になる事、その事である」


彼の生き方そのものがそう言う哲学に満ちた生き方であり、孤高の画家と言う言葉が相応しく、特に、彼の中期の「蝋燭」の絵は非常に有名になったが、僕自身は、晩年に描いた山野や花、月と言った作品が好きだ。


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