奈良と京都は文化財のおかげで空襲を受けなかった?

 

昔、小学校の時などに習ったことがあったのか、薄っすらと真偽も知らず頭の隅にあった知識です。

「文化財があろうがアメリカ軍には関係ないよな?」と疑問も持っていたのですが、安倍文殊院でその答えの一つに出会いました。

 

安倍文殊院(奈良県桜井市)は、「三人寄れば文殊の知恵」で知られる文殊菩薩をご本尊とする日本三文殊第一霊場であり、安倍一族のお寺です。

平安時代の有名な陰陽師・安倍晴明を祀る「晴明堂」もあり、この地は古来より安倍晴明信仰の聖地でもあるそうです。

 

 

安倍文殊院 晴明堂

©tsudakko

 

さて、その晴明堂のすぐ近くに「ウォーナー博士報恩供養塔」があり、その案内板によると、

 

“ウオーナー博士は、一八八一年アメリカのニューイングランド生まれ、ハーバード大学出身の東洋芸術史家で日本美術の偉大なる権威者です。第二次世界大戦において、日米の風雲急なるやその親友ハル国務長官を訪ねて戦争防止を進言されました。不幸開戦となるや、アメリカの政府と軍の上層部に辛抱強く奈良と京都を初めとする古都の文化的価値の説得に成功されたおかげで、アメリカ軍の日本本土空襲の時にも空爆リストから外されました。”

(ウォーナー博士報恩供養塔案内板より)

 

戦争そのものの被害を考えれば単純に喜んでよいことではないかもしれませんが、この案内板からは奈良と京都などの文化財が戦火を逃れることができたこと、そこにはウォーナー博士の功績があったと知ることができました。

 

安倍文殊院 ウォーナー博士報恩供養塔

©tsudakko

 

そして、案内板にはこう続きます。

 

“この地に立つウオーナー報恩塔はこのウオーナー博士の功績に大変感動した桜井市の一市民であった中川伊太郎さんが、日本人が博士へ寄せる感謝の気持ちを永遠に残したいという気持ちから自費で建立されました。因みに中川さんは当時、失業対策事業で働く日雇い労働者という大変苦しい生活を送っていたにもかかわらず、こつこつと蓄えた十万円の全財産を出して昭和三十四年五月に建立されたものです。(以下略)”

 

安倍文殊院 ウォーナー博士報恩供養塔案内板

©tsudakko

 

なんと、このウォーナー博士報恩供養塔は、中川伊太郎さんという一個人によって建てられた碑でした。

 

 

なお、現在では、米軍が京都・奈良を攻撃目標にしなかったのは『民間地域を集中攻撃目標にすべきでないという基本的方針のため,爆撃順位が東京や大阪に比べ後回しであったため,レーダー爆撃に不向きだったため』などであり、ウォーナー博士による功績などではなかった、という説が一般的なようです。

 

そうであったとしても

そうであったとしても、中川氏の思いや行いは戦争の教訓とともに引き継がれていくべきであると、ここに記したいと思います。

 

8月15日、終戦の日に。

 

 

アイ・ピー・ファイン/奈良まほろばソムリエ検定 奈良通1級

tsudakko