なるべく観光客が多くなく、落ち着けるお寺に行きたくて・
毎回色んな場所を巡っています。

3月にも一泊2日の『京都旅行』をしましたが、
今回は『紅葉🍁』を楽しみに訪れました。

長楽寺
延暦24年(805年)、桓武天皇の勅命に創建。
当初(平安時代)は天台宗の別院でしたが、室町時代の初期当時の一代の名僧国阿上人に譲られ、時宗(宗祖一遍上人)に改まったようです。

本堂

建礼門院塔
建礼門院がこのお寺に出家したと伝えられている。

建礼門院
壇ノ浦の戦いで平家が破れ、建礼門院も入水されるが、源氏に助けられる。

平安の滝

石組には8体の石仏。


収蔵庫
収蔵庫の中には、
時宗(宗祖一遍上人)の像などが収められていました。

徳川慶喜ゆかりの『尊攘苑』があります。

安政の大獄
江戸幕府が朝廷の承認もうけず外国との通商条約を締結したため、朝廷は水戸藩に攘夷の密勅を下し、幕政の改革を命じる。
鵜飼親子がその密勅を受け、31歳の幸吉を江戸の木戸藩邸に密勅を伝達。
この密勅が幕府側に発覚。安政5年(1858年)井伊大老が鵜飼親子ほか、尊王攘夷派の頼三樹三郎(山陽の息子)、吉田松陰など処刑。

幕末期の水戸藩士の鵜飼吉左衛門(うがいきちざえもん)・幸吉(こうきち)父子のお墓。

原市之進(はらいちのしん)のお墓。
慶応3年(1867年)兵庫開港飲みながら反対派に暗殺された。

徳川昭訓(慶喜の弟)etc・・
のお墓があります。

頼山陽のお墓
頼山陽のお墓の横には、妻の梨影(りえ)夫人・三樹三郎(みきさぶろう)のお墓がありました。

頼山陽とは
大阪生まれの江戸後期の儒学者。
国史の史書『日本外史』を著した。
源氏・平氏〜徳川氏まで武家盛衰史が書かれてあるようです。

頼山三樹三郎とは
頼山陽の2番目の妻、梨影(りえ)の子供。
幕末の儒学者。
安政の大獄で捕らえられ、35歳の若さで処刑。




拝観所
安徳天皇御衣幡・安徳天皇御影・建礼門院御影etc・・


建礼門院と高倉天皇の間に生まれた『安徳天皇』は建礼門院の母、平時子(祖母)と一緒に入水。


入水する際まで着ていた形見の直衣(のうい)をお布施とし、自ら幡(布などを材料として高く掲げて目印or装飾とした道具のことで、仏教祭祀の場で用いられる)を縫われ御菩薩を弔われたそうです。

静かでいい雰囲気のお寺🍃