ねねの道


北政所終焉の地。
豊臣秀吉没後、その妻北政所ねねは、高台寺建立を発願し、慶長10年(1605年)、秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿と前庭をこの地に移築して移り住んだそうです。
1104 年、第73代堀河天皇の御願寺として、祇園社の巽角(東南)に官吏・高階為家により尊勝寺阿弥陀堂の建立が始まる。

堂には丈六の阿弥陀仏を安置、祇園女御が住まれたそうです。

祇園女御とは、
平清盛の母といわれる祇園女御。

平安時代後期の女性・祇園女御。
祇園社協の水汲み女、源仲宗の妻、仲宗の子・惟清の妻とも言われています。
白河法皇の寵妃・法皇の下級官女として仕え寵愛を受けていたようです。
権勢を誇るが女御宣旨は下らず祇園女御と通称され、東郷方、白川殿とも呼ばれていたよう。


開基は、法然上人。
長承2年(1133年)美作国(岡山県)に生まれました。 
9歳の時、父が不意打ちにあい倒れます。
菩提寺で修学した後、比叡山延暦寺で源光に師事。
承安5年(1175年)法然上人43歳の春、ここに浄土宗が開かれたそうです。
『天台宗総本山比叡山延暦寺の三門跡』の一つとして古くから知られ、現在は天台宗の『京都五箇室門跡』の一つに数えられているようです。

天台宗の祖『最澄』が『比叡山延暦寺』を開くにあたって、山頂に僧侶の住坊を幾つも作りましたが、その一つの『青蓮坊』が『青蓮院』の起源になっているといわれています。