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DISCO CATのブログ

過去のディスコ・クラブ・ゴ-ゴ-喫茶・DJバ-等の写真/記事/資料(チラシ・ポスター・映画関係等)を集め、また過去の店舗名称使用イベント等を紹介。

 ごぶさたのディスコ今昔物語、時代は1986年 いまから24年前だ。

写真のホテルは、グランドホテル浜松 


そのホテルの宴会場で.1986.12.23 クリスマスパティーを勤務会社が開催し、参加したiparaです。


いまでいう箱貸しPARTYですな、当時結婚式会場をdiscoにするなんて、このイベントを大坂、京都で開催して東京に戻る途中の東海道の真中、浜松でやっちやったPARTY!!  
 
 本来なら私たちの本拠地、名古屋でやるべきところを、来春、浜松店がOPENすることが決定しており、そのまえのレセプション的な意味合いで、この地での開催とあいなった。

 コンサートツアー並みのセット、そしてディスコMUSICを歌うタレント、(石井明美がきてた、知ってる?)


そしてそれにあわせ踊り狂うボディコンのおねさま!!豪華絢爛......

( きっとこの流れがエイベックスのドームイベントにつながるんだな。)


 そしてこのイベントを仕切っているのが、CREATIVE ??? というイベント会社。


それがまた、私たちのグループ会社ときたもんだ、はやい話が水商売の会社の代理店なんだ、


後に、この会社も時代の波にのり変貌を遂げてしまうのである,,,,,


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このイベント、名古屋から高速飛ばして浜松まで、いきましたね。

実際、ヤンキーの街といわれた浜松なので、どんな娘がいるかワクワクで向かいました。

でも行きのクルマ1台にヤロー3人、ナンパできてもどうするんだろね(笑)



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時代は今から25年前

私が研修2店舗目となつたのが、多分全国で4番目にオープンした「名古屋マハラジャ」!!


全国的に有名になった、六本木のマハラジャは、まだオープンしてません。

 そうなんです、その後くるバブル時代の夜のディズニーランドといわれるブランド店舗なんです.

ディスコのお立ち台発祥地として有名なお店です。(実際は六本木のゴーゴークラブの時代に円柱の台が始まりといわれる。)
 
 お立ち台わかりますか、みんな?


猿山の猿がテッペンに登りたがる山ですよ。初期のマハラジャとしては豪華な内装でバーカウンター、VIPルーム、すしバーもありました。全国的に有名なディスコ激戦地区を勝ち抜いたKING OF DISCOです。
 
 先にオープンした「大阪店」に比べて(地階にある為)天井が高く開放的です。

大阪店は、ZIZIQUEって店がマハラジャになりました。

研修していたときには、九州には熊本にもOPENしていました。


私が最初にこの店に遊びに来たのが1年前。当時の彼女と、凄いお店があるからといって来たんです。まず入り口で、いまでいうID チェックです、当時22才だったのに若くみえたからですね。そして中に入ると、


わおー、メスしかいねぇー!! ホントの話。
  
 カップルと女性しかいれなかったんで当時は、いまじゃ考えられない世界。おとなの世界、


もえー!どころじゃないない


 すしBARがあるのにびっくり、そしてその彼女とも別れ、とほほ1年後に、そのすしBARの場所に、わたしは立っていました。
やる仕事は、醤油、がり、小皿、茶の交換,掃除のみ、外の世界はDISCO,ここは寿司屋、


なんじゃそれー!! 
 
 店舗のOPEN、夕方6時から朝方の4時まで、寿司屋小僧だったんです。

僕の縄張りに来る人達は、きれいな人達、アベックたち。 

 そしてみんな知っている私が一番したっぱということを。

そうこの世界では新入社員は、みんなに期待されがんばれという昼間の社会と扱いが違うということが...........

知ってしまった...............

ある日のこと、わたしがすしカウンターの掃除をしてるときに店長がやってきた、そのあとにこれまたモデル? いやモデルだった(あと確認済)やってきた。口論して逃げてきたみたいだ。


モデル曰く( なんで浮気した?  )


店長一言 ( おまえが自分自身を磨かないから )

頭がーんです僕は


学生時代の恋愛観をふっとばされそうなことば、そう当時の恋愛特集で盛り上がった、ポパイ、ホットドックの世代だったんです。

彼女泣いてました。


なんでこんな男がもてるんだ、そうその秘密は個人がもてる違う、そう組織犯罪といっしょで会社ぐるみ、店舗に麻薬のように彼女たちを惑わす秘密があったんです。

 彼女たちは入店に対して店舗から選ばれた客、その優越感のなかで、いままでこの業界ではレトルトしかなかった世界にコック、すし職人を導入し欲望の食をおいしいFOODで満たし、お酒によい音楽に踊り狂い、ダンスホールのスポットもあなただけに浴びせている錯覚を起こすんです。


店舗客席照明も○○ルックスでと本社の指示があったんです。
 
 太古の昔から人が人である条件として火を使うこと、身の安全のために火のまわりでまぐあい子孫をのこしてきた。その根底に残る遺伝子を呼び起こすことを。

照明はたいまつの炎なんです。

 あとは自然の原理、女の子はメスとなり一番のオスにフェロモンをあびせる。


そう一番のオスは、店舗の頭 店長なんです。今の時代は違うかもしれないけどその当時は、当たり前だったんです。彼女とられた彼が店舗に殴り込みにきたり。男にも変なPOWERがあった(笑)

 だから新入社員の僕は目を光らせ夜空を見上げて、がんばるぞと誓ったんです。


夜空じゃなく夜明けでした。

ディスコのグルっぽ

 研修1店舗目で、初めて知ったシャンパンは


「カステル・ブランチ・ブリュット・ゼロ」

iparaのブログ

カステルブランチ社は1908年、カタロニア出身のヘレニモ・パレラによって創設された歴史あるワイナリーです。 1929年バルセロナで開催された万博への出展を機に、カステルブランチはその品質の高さを国外市場においても認められるようになりました。

今は年間2000万本生産する大メーカーに成長し、世界各国に輸出してます。

「カステル ブランチ ブリュット ゼロ」は、約2年間の瓶内熟成を経て生まれた繊細でエレガントな泡。ごく辛口


で洗練された味わいシトラスなどの柑橘系アロマが爽やかさを誘います。

ブリュット・ゼロはカステルブランチのカヴァの中で生産量が少なく、飲み応えのあるしっかりとした味わいです。


値段は、フルボトルで1500円と格安なんです。 店舗では7000円ぐらいで、その当時 名古屋のおねーちゃん(お水系ではない人たちが、よく飲んでました。)御用達!


まだ、どんぺりの言葉すら知らない24歳のウェイターです。


なんかディスコに遊びに来て、ファーストオーダーにシャンパン オーダーするなんて みんなカッコつけてますね。


自分の給料で、初めて友達に奢ったシャンパンが、これなので今でも思い出深い銘柄です。


奢ったカップルは、その後 結婚しました。


今年の同窓会には2人とも出席していませんでしたけど元気かなぁ!


この箱では、日曜日の昼間に 今では当たり前の結婚式の2次会を始めて経験しました。


ディスコなので音響は最高ですね。

新郎新婦が入場の時に流れた曲 「 SUGAR BABY LOVE 」 原曲です、今でも好きなナンバーです。

記憶に残ってます。

http://www.youtube.com/v/ACCsnXHH9Vk&hl=ja_JP&fs=1&"></param><param




ディスコのグルっぽ

 大学を無事? 卒業して入社した会社は名古屋レジャー開発、なんとDISCOしか営業してない会社でした、

あっパブも一件経営してたな。大学出たての僕が面接にいき、第一面接した人は、その当時 学生サークルをしきっていたA.Hさんです。なんと学生でした、この時点で考え直せばよかったかも。だって面接官が学生すよ、よく考えればよかったぁ。

 その後、第二面接にでてきたのが、でたぁって感じの鬼みたいな顔の面接官、あとでわかったのが、その人 もとプロレスラーのここの社長さんでした、やべーと思いつつ、面接後に店舗見学、その時!!

 いままで見たこともない世界、大人のDISCO そうやられちゃいました。 (見学したのは平日の夕方です。)

 都会に、でてきた竜宮城か、ここは乙姫樣しかいないんです。

 その当時このグループ初めて、ドレスコードを使用し( なんとブランドでも幼くみえるメーカーの服を着た客の入場OUT )ナンパ目的の男同士の入場を断り、客を女性同士か、グループなら男女比が女性が上じゃないと入場できないシステムを取り入れ始めた頃でした。

 そのまま浦島太郎のiparaさんは、即入社です、

玉手箱を開けるまでは、次の日から研修です、昼1時に事務所出社、夕方6時から店舗研修、終わるのが朝の6時、やられたぁ。


 家に戻って風呂浴びて寝て12時前に起きて、すぐ会社。(睡眠時間3,4時間?)

 

1、5ヶ月 休みなしで過ごしました。後から聞いたの話では、いじめというより試練でした、大卒に対する扱いは冷たかったのです、その当時(24年前)は今と違いDISCOは水商売といわれ、差別意識があったみたいです。

 

 あまりの休みの無いことに、店舗の上司が気づき、社長に進言して、初めて休みがもらえました。

 
iparaのブログ-研修時の僕

 大卒ができるもんかという意識ですね。人生において一番働いたような気がする。 ヾ(@°▽°@)ノ

 そして、この写真の店舗は、85年の8月におーぷんした RAJAHCOURT というDISCOです。

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  ぼくの研修1件目の店舗です。ここの売りはレーザーがあったんです、照明の中で、初めて見た!

 ウェイターからの始まりです、なんかみんな、大人にみえたのが今でも脳裏に浮かびます。


 ここで警察の手入れも経験します、いきなりカップルの二人が手帳を出して、愛知県警!!

 DJに照明あげて、音とめて、責任者だして 叫ぶんだもんびっくり!! 


 そん時は、えって感じでしたね。(それまで、vip room で飲んでた店長がピューと消えてました。)

 でもこれも竜宮城の中の世界、海の底はまだ深いことにキズカナイ 僕でした。

 その昔、マイケルのモンスターアルバム スリラーが発売され当時のディスコのモニターでは、みんなMTVにかぶりつきでした。


だって情報がないんです、あるとしたら小林かつやのベストヒットUSAしかないんです。


家庭用のビデオも普及してません、まだ僕らの周りには。大学三年のときに新一年生が実家からビデオデッキを下宿に持ってきたときはお祭り騒ぎでした。 レンタル料金が定価の約一割で、2泊3日で1500円ぐらいしましたよん。


だからディスコのモニターで流れるPVにみんな釘付け。


最先端の音楽を仕切っていたのはDJたちですから、現在みたいにネットからいち早くGETできなかったんです。


よって、最新の曲が詰まったカセットテープは宝物。


男たちは、まねーで、娘たちは媚びて、ゲットっー!


モニターからは封切り前の映画も流れてました、音なしでも解る解る(笑)


とかく当時の名古屋の箱は広かったので、ピンボールやらインベーダーゲームなんかもありやした。


いいかえれば、今のゲーセンがセガやらタイトーみたいに小奇麗になる前の怪しげなゲーセンみたいな感じの箱ですね。 時代的には箱にコンセプトが生まれてくるのですが。

 空間プロデューサーなんて言葉やら仕事なんかが生まれるまでには、まだ数年かかります。


新宿のGB・ラビットに行った時に、ビリヤードやオリジナルグッツショップが店内にあって、当時 さすが東京と思ってましたー!


名古屋では、月曜日に500円でフリーフード・フリードリンクのディスコ ●●観光ビルにあるとんぼが流行ってました。

 

ここのビルの社長がなかなか、凄かった。その話は、またいつか。